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「このままじゃ終わるな…」DeNA京山将弥26歳を、“イップスで一軍登板ゼロ”の崖っぷちから「想像もできなかった成績」に蘇らせた言葉
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph bySankei Shimbun
posted2024/08/12 11:01
台所事情の苦しいDeNAブルペン陣にあって、さまざまな役割で奮闘する京山
「練習もがんばろうと思うんですけど、上手く行かないと、どうしてもネガティブなことを考えてしまう。このままじゃ終わるな、と思いましたね……」
重い口調。京山は、突然変化してしまった自分の置かれた状況に困惑するだけだった。なにをしても本来の姿を取り戻すことができず、光の射さないトンネルの中をさまようしかなかった。
そんな京山の救世主となったのが、昨年の秋季トレーニングからチームに合流した入来祐作ファームチーフ投手コーチだ。2008年にベイスターズで現役引退し、その後6年間バッティングピッチャーや用具係といった裏方としてチームを支えた苦労人は、2015年からソフトバンクやオリックスの投手コーチとして経験を重ね、今季古巣に復帰を果たした。
入来コーチ自身、現役中やバッティングピッチャー時代にイップスになっており、その大変さを経験として理解している。
考えずに、自然に投げること
入来コーチが京山を見て伝えたのは、シンプルなことだけだったという。歩くときに右足の次に左足が出るように、考えることなく自然に投げればいい。入来コーチは当時のことを振り返る。
「京山にとってみれば藁をもつかむ気持ちだったと思います。最初に簡単に『ボールを投げるのってこういう動作だよね』と基本的なことを説明して、あとはもう“投げなさい”だけですよ。とにかく投げなさい、自分のカタチを作りなさいって」
投げることに臆病になっていた京山に、ただただ体が自然に動くままに、無心で投げることを勧めた。そして入来コーチはそれを後ろから見つめつづけた。
「投げたボールに対してはなにも言わない。カタチ作りも一切難しいことは言わない。とにかく投げてなかったら、投げろって言っていましたね。ふと見て、投げてなかったら『なんで今日は投げないの?』って。一生懸命やっていましたし、復調できたのは、ひたすらに努力した京山自身の力ですよ」
京山は、入来コーチとともに徐々に自分を取り戻していった時のことを次のように語る。
「入来コーチに助言をいただく度に新しい発見が多かったんです。最初は歩きながら投げてみたり、ブルペンでも完全に脱力して投げてみたり、すごく新鮮でした。シャドーもずっと見ていただいて、力が少しでも入っていたら、すぐ指摘してもらったり」
京山は、口調を弾ませてつづける。