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「あのメガネかけたピッチャーやろ」清原和博が甲子園で初めて味わった“恐怖” …どうやってバットに当てるんだ?「自分には手の施しようがなかった」
posted2024/08/08 11:01
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Takuya Sugiyama
【初出:発売中のNumber1102号[挫折地点を語る]清原和博「甲子園で味わった恐怖と屈辱」】
今も鮮明に記憶する伊野商・渡辺智男との初対戦
1985年、春のセンバツ。最上級生となった清原和博にとっては4度目の甲子園、PL学園は絶対的な本命だった。浜松商、宇部商、天理を難なく退け、準決勝で高知の伊野商との対戦が決まった。準々決勝のあと、帰りのバスのなかで交わされた 会話には、どこか余裕が感じられた。
「明日の相手、なんかあの、メガネかけたピッチャーやろ」
そして準決勝。最初の打席で清原は三振。その打席を清原は今も鮮明に記憶している。
「伊野商業の渡辺智男、まったくのノーマークでした。データは気にしない方ですけど、一応、最高速だけは頭の中に入れておいて、140kmが出るか出ないかというイメージしかなかったです。まあ、普通のピッチャーだろうと」
1番から3番までの球筋を見た清原は、「やっぱり、こんなもん」としか思わなかった。ところが2回裏、清原を打席に迎えた渡辺はいきなりギアを上げてきた。
「僕が打席に立った時、なんかロケットが来るような、急に球が速くなったんです。3番までは140kmとかだったので、余裕を持って打席に入ったら、大間違い。145、146、そういう球を連発してきました。正直、最初の打席で怖くなってしまったんですよ」
1年生の時に箕島の3年生、吉井理人と練習試合で対戦し、度肝を抜かれたことはあった。しかし3度の甲子園を経験し、好投手に絶望を与えてきた清原には「打てない投手はいない」という絶対的な自信があった。ところが、たった1打席でその自信が揺らいだ。
「とにかく、すごかった。ゆったりしたフォームから、ビュンと投げてくるんですが、 普通、高校生のストレートは手元に来るにしたがって、だんだん球速が落ちてきます。ところが、渡辺のストレートはそのままズドーンと来ました」
4回の第2打席は3ボールと打者有利のカウントで進んだが、そこから3球続いたストレートに対応できず、またしても空振り三振を喫する。
初めての挫折「自分には手の施しようがなかった」
これ、どうやってバット当てるんだ?
そんな感覚に陥っていた。
伊野商が3対1とリードして迎えた8回裏、2死一塁の場面で打席に立ったのは清原である。本塁打が出れば、試合は振り出しに戻る。初球、2球目と空振り。3球目ーー外角の球に清原は手が出なかった。見逃し三振。清原はバットをたたきつけた。