Beyond The GameBACK NUMBER
大谷翔平への過熱報道から取材される側の「権利」を考える。
posted2024/07/23 09:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
KYODO
成田空港のトイレ。用事を済ませようと便器の前に立つと、隣では中日の監督だった星野仙一さんが、同じように用をたしていた。そして目があった瞬間である。
「オマエ、俺のそばに寄ってくるな。取材拒否や!」
1988年2月。中日が初めて米・フロリダ州ベロビーチのドジャータウンで行う春季キャンプに飛び立つ、直前のことだった。
なぜ星野さんからそんな宣告を受けたのか。実はこの年の3月に日本初のドーム型球場となる東京ドームが開業。しかし開業前には「ボールが見にくい」「音がこもって選手同士の声が聞こえない」等の不安材料がメディアで盛んに報じられていた。それに対して星野さんが担当記者数人との雑談で「そんなもん、きちっと野球ができるようにするのが本拠地球団の責任やろ」と巨人の責任を追及するようなことを語った。すぐにそれを原稿にしたのである。