「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「広岡さんとノムさんに共通しているのは…」タイプは違えど二人は“似た者同士”だった?「広岡達朗と野村克也を知る男」伊勢孝夫がホンネで語る名将論
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2024/06/07 11:04
野村克也の右腕としてヤクルトの「ID野球」を支えた打撃コーチ時代の伊勢孝夫。その後も多くの球団で卓越した分析力と指導力を発揮した
続いて伊勢は「共通点」を挙げる。
「広岡さんとノムさんに共通しているのは二人とも、ホンマに野球が好きだということ。ずっと野球のことばかり考えとる。これは甲乙つけがたいですよ」
広岡式「管理野球」はトップダウン方式
古今東西の書物を濫読していた野村が人間教育にこだわったのに対して、広岡は哲学者であり思想家でもある中村天風、合気道の達人である藤平光一、新田恭一など、外部の有識者との交流を通じて、さまざまな「気づき」を得ようと試み、それらの教えを積極的に野球に取り入れようとした。
「春や秋のキャンプでは、藤平先生のお弟子さんがつきっきりで合気道の呼吸法だとか、臍下の一点に気持ちを鎮めて、息を吐きながら力を抜いて立つどっしりとした構え方も習いましたよ。自分ではわからなかったけど、“いい待ち方ができているぞ”と言われたことがありますよ」
伊勢が今でも記憶しているのが、広岡から学んだこんな教えだという。
「静かな山の奥に池がある。そこにポチャンと石を投げ込んだら、静かに波紋が広がっていき、やがてその波も消えていく……。そんなイメージを持って臍下の一点に気を鎮めるんです。“常にそんなイメージを持ちなさい”と広岡さんからは何度も言われて、それは意識して取り組んでいましたね」
伊勢の自著『伊勢大明神の「しゃべくり野球学」』(双葉社)には、広岡野球について、こんな言及がある。
《結局、広岡さんの管理野球というのは徹底した“トップダウン方式”やったと思う。監督の指示・命令を、コーチを通して選手一人一人にまで厳しく行き渡らせるわけや。
だから、私生活にまで細々と口を出すし、選手に対して、ちょっと言い過ぎちゃうかと思うような毒舌も飛び出す。それも組織の中に緊張感をもたらすのが一番の目的やったはずや。
(中略)一つのリーダー像ではあるやろうな。ただし采配はオーソドックスや。選手をきっちり鍛え、その選手を監督の指示通りに動かす。それでチームは強くなるという考えやったと思う。》
広岡には確たる理想があった。自分の考えに忠実な選手が増えれば、チームは必ず勝つと信じていた。広岡は常に「正しいことを正しいやり方で追求すれば、必ず望むべき結果が得られる」と確信していた。だからこそ、選手たちに「あるべき姿」を説き続けた。その姿を称して、伊勢は「トップダウン方式」と評するのである。