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ブライアンvsトップガン、伝説の阪神大賞典「名勝負とは言えない」と田原成貴は語るが…武豊を称えるワケ「僕の人生はペケがいっぱいだけど」
posted2024/06/01 11:03
text by
鈴木学Manabu Suzuki
photograph by
Tomohiko Hayashi
有馬記念でナリタブライアンは絶好の手応えで直線を向き、逃げるマヤノトップガンに襲いかかる態勢でいた。ところが、三冠を制した時のように伸びない。
「グアーンと外から来たんですよ。ターフビジョンに(直線でのブライアンが)チラッと見えて、こう思った。『グアーンと来て、4コーナーで終わった』と。本当はグアーンと来てグアーンと伸びる馬だけど。あとでビデオを見返すなどして『ブライアンは終わったな』と。『終わった』と言っても、他の馬からしたら能力は高いけど、『本当のブライアンではないな』と。その思いがあるから余計に阪神大賞典(での慢心)につながった。だから天皇賞で2着に来た時は驚いたよね。よく2着に来たよね。『いやあ、やっぱりこの馬は能力があるんだな』と」
南井さんは全盛期のブライアンの乗り方をしたよね
天皇賞でのナリタブライアンは、直線入り口でマヤノトップガンを潰しにいった。
「マヤノトップガンは引っ掛かったよね。掛かった。阪神大賞典を急仕上げで走った反動もあって、馬がエキサイトして全然、折り合いがつかなかった。その時、思いましたね。『先行策ではトップガンはもう勝てないな』って。特に長い距離では、と」
余談になるが、その思いが、マヤノトップガンとのコンビで後方一気の競馬で制した翌年の天皇賞(春)につながったのは言うまでもない。
「天皇賞でのナリタブライアンは少し仕掛けが早かったんじゃないかな。南井さんは全盛期のブライアンの乗り方をしたよね。股関節を痛めるまえのブライアンならあの仕掛けでよかったんだろうけど。それでも2着に来たように『やっぱり能力があるんだ。絶好調でないのに、やっぱり走る馬なんだな』と思った。
だからびっくりしましたよ。内在する能力の差を感じたね。故障もその馬の競走成績に含まれるものだけど、改めてそれを感じた。それでも、皐月賞から1995年の阪神大賞典までの走りからしたら、96年の天皇賞は、こんな言い方をするのは悪いけど、3.5速ですよ。4速でなくて3.5速で走っているようなもんですよ」
あのレースにケチをつけているわけじゃない。でも
ゴールまでの約600メートルを2頭が併走した阪神大賞典は“伝説のレース”として語り継がれている。だが、田原さんは「名勝負とは言えない」とも語る。