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オリンピックPRESSBACK NUMBER
両親&弟は東大、自身は「偏差値70超の進学校→早大」へ…競泳“パリ五輪代表”松本信歩を育てた教育方針「勉強はやらされ感がありました(笑)」
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byAFLO
posted2024/05/01 11:01
今年3月に行わてれたパリ五輪代表選考会で2位に入り、200m個人メドレーで自身初となる代表に選ばれた早大4年の松本信歩(東京ドームスポーツ)
「3歳から中学1年生まではピアノも習っていて、煮詰まって来るとそれを弾くのがリラックス法というか、趣味みたいな感じで。それで十分でした。特にアウトドアな趣味とかもないし、机に向かうこと自体は昔からストレスではなかったんですよね」
水泳の面では順調に記録を伸ばすと、中学3年時には200m個人メドレーで全中優勝。
高校でも1年生ながらインターハイ決勝に進出(※3年時はコロナ禍で開催中止)、高校ランキングではトップの記録をマークするなど名実ともに世代を代表する選手に成長していった。
「小中学校の頃は『オリンピックに行きたい』と口にはしていましたけど、全然現実的な目標ではなくて。両親も現実になると思っていなかったはずです。ただ、高校で東京五輪に出るような選手たちとランキング上でも距離が縮まってきて、少しずつ夢から目標に変わって来ていました」
大学進学…競泳か学業かで悩むことは?
一方で、松本が進学した国立の東京学芸大附属高校は、当時は東大合格者を毎年50人近く輩出する、全国的に見ても超のつく進学校だった。学業か、競技か――間近で両親のキャリアを見てきたこともあり、進路に悩むことは無かったのだろうか。
「高校卒業後の進路に関しては、親はもう『自分のやりたいようにしたら?』という感じで、完全にお任せでした。自分自身もあまり悩むことはなかったですね。まずは競泳に全力で取り組める環境に行こうと決めていました。
学業に関しては引退してからでも大学に入り直したり、学ぶことができる。でも、競技はフィジカルの問題があるので、高いレベルを目指すなら若い年齢でしかできません。オリンピックという大舞台に手が届く可能性があるなら、4年間はそこに打ち込んでみようと思ったのが大きかったですね」
そうして進路として選んだのが、早稲田大学だった。
<後編へつづく>