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ラグビーPRESSBACK NUMBER
福岡堅樹や松島幸太朗と一緒にW杯で見たかった…ラグビー黄金世代“消えた天才”の今「エディーが惚れた才能」「先輩も驚いたブレイクダンス」
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph bySankei Shimbun
posted2024/04/02 11:00
2012年3月、エディー・ジョーンズHCに認められ、当時大学生ながら日本代表に名を連ねた竹中祥
東福岡と31-31の死闘ドローで、両者優勝ながら花園初優勝を飾った2010年度大会。松島と並んでトライを取りまくっていたのが竹中だった。
桐蔭学園は東福岡に先制トライを許すも、松島の55m独走トライで追いつき、竹中のトライで逆転、さらにトライを追加。司令塔・小倉のトライを加えて折り返すと、後半早々にも再び竹中がトライを加えた。松島の「ほぼ100m独走トライ」が名高い準決勝・大阪朝高戦では小倉が先制DGを、竹中は50m超の独走トライを決めていた。
竹中が見る者の目を奪ったのはBKプレーヤーとは思えないフィジカルの強さだ。
高2の花園3回戦・報徳学園戦では、自陣ゴール前わずか5mの位置から爆走開始。相手FBをぶちかまして突破し、さらにCTBとWTB2人がかりのタックルを中央突破と、激しいコンタクトを重ねながら95mを独走。タックラーを蹴散らし踏みつぶしてトライを量産し「怪物」と呼ばれたオールブラックスの伝説的WTBジョナ・ロムーを思わせる衝撃のトライ。竹中には「和製ロムー」の称号が与えられた。
松島、小倉、福岡…ゴールデンエイジと呼ばれた世代
同期にはもうひとり、スペシャルなトライゲッターがいた。U17の合同大会として行われたコベルコカップに小倉、松島、竹中が関東代表で出場した際、優勝を争った九州代表のエースが福岡高の福岡堅樹だった。九州代表には、高1の花園大会から猛タックルで注目された布巻峻介もいた。大会が開催中の2009年7月には、2019年W杯の日本開催が決定した。高校2年生の彼らは、W杯日本大会での活躍を運命づけられたゴールデンエイジと呼ばれた。
そんなゴールデンエイジで最も早く世界の舞台に立ったのは竹中だった。
筑波大1年の2011年9月に7人制日本代表としてアジアセブンズシリーズに出場。南アフリカに渡った松島、早大に進んだ小倉はまだ公式戦の舞台に立っていなかった。福岡は受験に失敗し、浪人生活を送っていた。
筑波大1年のシーズン、対抗戦でチーム最多タイの7トライをあげた竹中は、大学選手権終了後の2012年2月にはセブンズのワールドシリーズにもデビュー。3月には就任したばかりのエディー・ジョーンズに15人制の日本代表に招集された。
「僕が生まれる前からトップレベルでラグビーをしていたような先輩たちと一緒にラグビーができた。本当に素晴らしい時間でした」
小野澤宏時や廣瀬俊朗、大野均らレジェンドとともに過ごした時間を竹中はそう振り返った。チームソーシャルのBBQでは得意のブレイクダンスも披露し、先輩たちから喝采を浴びた。100mのベストタイムは11秒09、立ち幅跳び3mのバネ、176cm88kgの重厚な身体でバック転も鮮やかにこなす身体能力。「何を食べてそんな身体を作ったの?」とエディーに聞かれ「牛乳をたくさん飲みました」と答えたことからついたニックネームは「ウシ(牛)」。