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「暗いやつだな」伝説のクライマー・一村文隆(享年41)と「ギリギリボーイズ」が“狂い咲いた”ころ…「こいつと一緒に登らなければダメだ」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byYusuke Sato
posted2024/03/14 17:00
2008年アラスカ・デナリ南壁での一村。ベアトゥース北東壁からデナリに至る継続登攀は世界から注目された
その前年から、横山は「冬壁」に取り組み始めていた。彼らが出てくる以前、クライミングと言えば、岩肌にいくつものボルトを打ち込み、ただ、真っ直ぐに登るというのが主流だった。後続する者も、そのルートを踏襲する。そこには横山が求めていたものはなかった。
「夏に登ったらそんなにたいしたこともない壁も、冬になると雪とか氷でデロデロになる。下から壁を見上げたとき、氷と雪とクラック(岩の割れ目)をどうやってつなげば登れるかを考えるんですけど、僕にとってそれはパズル感覚に近い。年によって氷や雪が付く場所が変わるので、正解は毎年変わる。難しいし、怖いけど、それが楽しいんですよね」
年が明けると、一村と横山は海外遠征に向けて、さっそく冬壁でのトレーニングを開始した。登攀の際、彼らは原則的にナチュラルプロテクションと呼ばれる回収可能な固定器具のみを用い、回収不能なボルトは使わない。壁を傷つけないのが流儀だった。
横山にとってテクニックはもちろんだがそれ以上に刺激を受けたのは一村の山への向き合い方だった。
一村の代名詞でもあった「残置無視」の哲学
「山に入って、それからどこの壁を登るか決める。それがイッチー流。予習はほとんどしていかない。不確定要素が多ければ多いほど楽しいという考えなんです。あと、それまでは残置(のボルト)があったら僕も使っていたんですよ。けど、一村はボソッと『そんなの使わねーよ』って。あれは目から鱗でしたね。彼は本能的にこうすれば登山がもっとおもしろくなるということがわかっていたと思う」
「残置無視」。これは一村の代名詞でもあった。一村が書き残した数少ない署名記事、『ROCK&SNOW』の2006年6月号に掲載されたエッセイにはこんな言葉が記されていた。
〈ボルトラダー(ボルトが階段のように連なっているルート)をたどる行為ほどむなしいことはない。これはすでにクライミングではない〉
シンプルだが刃物のような切れ味を感じさせる文章である。横山が思い出す。
「残置の支点がすぐそばにあるのに使わないって、すっごいシュールだなと思った。でも、その方が精神的強さも身につくし、山を見る目も養われる。残置無視で冬壁を登ったことで、そのあと誰も登っていないような海外の壁にも対応できたんだと思います」
「あと何年あったら、下からちゃんと登れてた?」
倉上慶大もまた、そんな一村から大きな影響を受けたクライマーのうちの1人だ。倉上は2014年から2019年まで登山用具の輸入代理店、ロストアローで働いていた。一村は会社の先輩であり、山の師でもあった。仕事が終わると、同じ敷地内の人工壁が設置されたジムで夜の6時から規定の10時までともにトレーニングに励んだ。冬は隙間風が吹くため、ストーブの前で山の話をすることの方が多かったという。