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「(落合さんの年俸)どうかと思う」原辰徳がまさかの苦言…落合博満“4億円超”に不満だった巨人ナイン「落合vs原」1994年オフの言い争い 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2024/02/18 11:02

「(落合さんの年俸)どうかと思う」原辰徳がまさかの苦言…落合博満“4億円超”に不満だった巨人ナイン「落合vs原」1994年オフの言い争い<Number Web> photograph by KYODO

1994年12月19日、現状維持(1億1500万円)で契約更改した原辰徳(当時36歳)。記者会見で巨人ナインの不満を代弁する

 長嶋茂雄監督である。オフに北陸の温泉で行った講演では、1994年前半戦の「落合効果」を認めた上で、こうも口にしたという。

「落合も人の子、知らず知らずのうちにウチの(おとなしい)チームの色に染まっていくのを見て歯がゆい感じがした」(週刊ベースボール1995年1月2日/9日号)

球界最高の年俸4億500万円

 オレ流は、このまま巨人と同化してしまうのか? 左足内転筋と左腹直筋の損傷は重傷で、1994年12月9日に41歳の誕生日を迎えた4番打者の再起を危ぶむ声すらあった。落合頼みの打線から脱却しようと、球団は日本一になったにもかかわらず、長期ストライキ中のメジャーリーグから、ツインズの4番を打っていた大物シェーン・マックを獲得。ライバルの野村ヤクルトからはFAで広沢克己、さらには1992年MVPのジャック・ハウエルも引き抜いた。皮肉なことに、落合獲得が日本一という最高の結果をもたらしたことにより、90年代中盤以降の巨人はさらなる大型補強路線へと邁進していくことになる。

 落合は前年オフの移籍時に2年契約を結んでいるため、球界最高の年俸4億500万円は変わらなかったが、打率.280、15本塁打、68打点という巨人1年目の打撃成績は三冠王を三度獲得してきたバットマンにとっては屈辱的ですらあった。オフはプールでの歩行訓練や軽いウエート・トレーニングに励み、豪州V旅行も辞退して翌シーズンに備えた。

原辰徳「どうかと思う」

 しかし、この図抜けた高年俸が意外な形で物議を醸すことになる。

 12月1日からスタートした巨人主力選手の契約更改で保留者が続出。日本一のご祝儀査定はほとんどなく、ナインの不満を代弁する形で12月19日に交渉に臨んだ原が、記者会見でこう言い切った。

「僕自身は現状維持(1億1500万円)で仕方ないけど、パッと(FAで)来た人が、自分の何倍ももらうというのはどうかと思う。それに、こういう使い方をされて、チームに対する忠誠心をいわれても、優勝しようという気にならないよ」(週刊現代1995年1月14日/21日号)

《記者会見の場で、5歳下の原辰徳に不満を言われた落合も黙っていなかった――。》

<後編に続く>

#27に続く
巨人・落合博満41歳が猛批判「はっきり言って、原辰徳」“落合vs原”…30年前オフにバチバチの論争「原がしっかりしてたら巨人移籍なかった」

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