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「レース3日前にコーチと大ゲンカ」でも日本記録に肉薄だったのに…《東京マラソン参戦決定》新谷仁美が明かす「ベルリンで失速」のナゼ
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph byJIJI PRESS
posted2024/02/10 11:00
昨年9月のベルリンマラソンで日本記録更新に挑んだ新谷仁美。2時間23分8秒で11位という結果に終わったが、本人が語ったその「失敗の本質」とは…?
新谷は練習でもレースでも、タイムを知らされることを嫌う。
走りのリズムとタイムが合っていないと、焦って走りに集中ができなくなるからだ。それゆえ、ペースメーカーを務めたコーチの新田良太郎も、沿道で見守る横田も決してタイムを口にしなかった。だが新谷にはペースがどんどん落ちている自覚があった。
「ハーフ地点で、掲示されているタイムを見て、どう計算しても明らかに日本記録更新は無理なのがわかりました。それでも、もしあのときリズムに乗っていて、楽に感じていたら、後半で挽回できたかもしれません。でも実際はただ辛いだけで。ここから後半20km、苦しい思いで走るだけなのかと思ったら、絶望しか感じませんでした」
一方、新谷のペースメーカーを務めた新田も苦しんでいた。
「体も重かったし、ヒューストンの方が感覚的には走りやすかったと言っていて。ただ、新田さんが原因で、私が遅れたという話ではなくて、お互いに調整が合わなかったということです」
なぜ失速したか…ヒューストンとの違いは?
なぜ失速をしたのか。
思い当たることはいくつもあるとしながらも、「頼りすぎたんだと思うんです」と振り返る。
語弊を恐れずに書くと、新谷は「女王様」タイプだ。
マラソンの常識やアドバイスを疑い、自分に合わないと思えば、反論もするし、従うこともない。そんな新谷に寄り添い、ときに無理筋だと思われることでも、横田やスタッフは尊重し続けてきた。長く戦いを共にしてきた仲間に、新谷も全幅の信頼を寄せるようになった。
一般的にこうした信頼感はポジティブな方向に転ぶものだろう。だが、新谷はベルリン・マラソンではそれが裏目に出たと語る。
「もちろん頼ることは悪いことではないけど、ベルリンは頼りすぎてしまったんです。ヒューストンの時は真逆でしたから」
ファンの間で語り継がれているエピソードがある。
ヒューストン・マラソンの3日前に行われた現地練習。大会でペースメーカーを務める新田コーチが、要求を繰り返す新谷に「だったら、自分でいけよ!」とキレたのだ。これをきっかけに、2人は会話も交わさないほど険悪になり、レース開始の5分前になり、ようやく和解をしたのだ。