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3回目のマラソンでパリへの切符を獲得。大学まで無名だった赤﨑暁が、いま世界を相手に戦える理由とは?
posted2024/02/07 11:00
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
Shunsuke Mizukami
パリ五輪マラソン日本代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)は、朝から冷たい雨が降り続く過酷なコンディションのなか、日本記録保持者の鈴木健吾、東京五輪で6位入賞を果たした大迫傑など、トップランナー61人が集結。群雄割拠のなか、2位で代表の座を掴んだのが、九電工の赤﨑暁だった。
「(40km地点で)大迫さんに追いついたときに、後ろにつくのではなく、前に出れば大迫さんの気持ちが折れるのではないかと、思い切って出ました。今となっては、よく冷静にそんなことを考えられたなと思うんですけど。逃げではなく、攻めの気持ちでレースを進められたことは大きかったですね」と、はにかんだような笑顔で語った。
3回目のマラソンにして、日本代表の座を獲得した赤﨑は、レース後、多くのメディアで「ダークホース」と報じられた。実際、開新高校時代は故障が続き、思うような成績を残せず、一時は卒業とともに競技から離れることも考えていた。だが拓殖大学に進学し、4年の夏を迎えた頃、山下拓郎監督(当時)から背中を押された。
――俺が見てきたなかで一番強い日本人選手だ。お前なら日本代表にもなれる。
監督がそう言うのであれば、実現できるのではないか。で、あれば自分もトップクラスで戦いたい。その想いに呼応するかのように、赤﨑はすぐに1万mの自己ベストを更新。上尾ハーフマラソンでは日本人学生1位となり、上位2名に贈られるニューヨークシティハーフ招待の切符を手にするなど、着実に力をつけていった。
練習の積み重ねがMGCへの自信に
2回目のマラソンで臨んだ2022年12月の福岡国際マラソン。赤﨑は日本人2位でゴールし、MGC出場の権利を獲得する。「人生で最大の夢」だった日本代表に近づいた瞬間だった。
「ただ、3月から怪我で2カ月ほど満足に練習が積めなくて、正直MGCはどうなんだろうと思っていたんです」
だが、そこから赤﨑は目覚ましい走りを見せる。7月のホクレン・ディスタンスチャレンジでは2戦連続5000mに出場。網走大会では日本人2位、北見大会5000mでは、スパートに定評のある三浦龍司をラストで制し、日本人トップでゴール。そのキレのある走りは、MGCでの活躍を期待させるものだった。
「色々な方からMGCで勝てるんじゃないかと言っていただいたのですが……。言っても5000mって、マラソンの1/8程度の距離しかないじゃないですか。正直あそこで結果を出せたからといって、MGCで戦えるとは当時は全く思っていませんでした」
マラソンの自己記録で見れば、MGCは格上の選手ばかり。だが赤﨑はそれを覆すだけの練習を積んでいた。
「別府大分、福岡国際と、過去2回マラソンを走りましたが、その時よりも距離も踏めていたし、余裕を持って練習を消化することができていたことが自信となりました。綾部(健二)総監督には『これで無理なら、もう無理だよ』って言われましたし(笑)、自分でもこれで無理だったら仕方ないと思えるぐらいの練習を積むことができていると思っていました」
速くなるために辛い練習にも耐えるというのが一般的なランナーの心情だが、赤﨑は単調な距離走ですら「楽しいです」と目を輝かせる。
「長く走れたり、質の高い練習ができたということは、絶対に強くなっているということ。自分がワンランクアップできたと感じられるって楽しいじゃないですか。単なる自己満足かなとも思いますけど、プラスに考えるだけでも良い方向につながるんじゃないかと僕は思っています」