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「実はレース途中で運営にキレたんです」…《19年ぶり日本新記録》大阪国際女子マラソンで“神ペースメーク”の新谷仁美が語る「まさかの真相」
posted2024/02/10 11:01
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
L)Hideki Sugiyama、R)AFLO
昨年は、目標達成まで「あと数秒」に迫ったレースや、そこからの失敗レースも経験した。そんな中で、この1月には自身がペースメーカーを務めた大阪国際女子マラソンで、前田穂南(天満屋)が日本記録を樹立した。19年ぶりの偉業となった同レースでは、一体何が起こっていたのだろうか。《NumberWebインタビュー全3回の2回目/#3に続く》
ベルリン後、なかなか決まらなかった「覚悟」
昨年9月のベルリン・マラソンで新谷仁美は「日本新記録の樹立」という目標を逸した。
一夜明け、SNSで「マラソンの日本記録更新という目標を諦めたくないので再度挑戦したいと思っています」と公言したが、言葉とは裏腹にマラソンを走る「覚悟」がずっとできなかったと話す。
「ヒューストン・マラソンのときは次への課題がすぐに理解できたのですが、ベルリンはまず結果を受け入れて消化するところからのスタートだったので、課題を見つけるまでに時間がかかって」
課題が見つかれば、次のターゲットに気持ちを切り替えることができる。だが、課題が見つからないことには、気持ちが前に向かない。
そんなとき以前の新谷であれば“全く走らない”という空白期間が生まれていたが、ベルリン後はすぐに練習に復帰した。「大人になったんです(笑)。それに走らないと戻すまでが大変だし、すぐ太ることが分かったから」と笑う。
ただ、練習はしていても、気持ちは定まらず、なんとなく過ごす日々を送っていた。
ベルリンでの課題にようやくたどり着いたのは、駅伝シーズン直前。マラソンの練習を少しずつ始めた頃だった。
実は発表こそしていなかったが、東京マラソンに出場することは決めていたという。