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《永遠のゼッケン48》Moto2クラス最初の勝者・富沢祥也がグランプリわずか27戦で見せつけた天賦の才 

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遠藤智

遠藤智Satoshi Endo

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photograph bySatoshi Endo

posted2024/01/25 11:00

《永遠のゼッケン48》Moto2クラス最初の勝者・富沢祥也がグランプリわずか27戦で見せつけた天賦の才<Number Web> photograph by Satoshi Endo

置かれた状況にかかわらず、レンズを向ければいつでも屈託のない笑顔を返してくれた富沢祥也

 しょーやは頭の回転が速く、物怖じせず、だれにでも心を開く。人なつっこく、明るい性格で、すぐにパドックの人気者になっていった。千葉県の進学校である県立匝瑳高校英語科に進学したのもグランプリ参戦を視野に入れたもので、日本人のサポートがひとりもいないフランスのチームに単身乗り込み、あっという間にチームとスタッフの信頼を得ていくことになる。それが彼の才能を開花させていくスピードにもつながった。

 全日本ロード時代、そして世界戦にデビューした1年目はマシンに恵まれたとは言えないが、イコールコンディションのMoto2クラスになってからはしょーやの類い希な才能がリザルトに反映されることになる。Moto2クラスデビュー戦のカタールGPで優勝したときに彼は、こう言っていた。

「Moto2になってストレートで抜かれなくなった。250ccクラスではストレートでアプリリアやホンダのワークスマシンにズバズバ抜かれたけど、Moto2になってからは、みんな同じスピード。めちゃめちゃ楽しい」

センスの良さはピカイチ

 全日本ロード時代からしょーやはスタートが上手くて、1周目からスピードを上げていく。仮にグリッドが悪くても、レース序盤にぐいぐい前のライダーを抜いていく。これは速いライダーの特徴であり、速いライダーだから為せる技でもある。パフォーマンスの劣るバイクでレースをしてきたことも大きく関係するが、しょーやのセンスの良さはまさにピカイチだった。

 その半年、しょーやは転倒は多かったが転倒した理由をしっかりわかっているライダーであり、マルク・マルケスのように転倒の影響をまったく感じさせないリカバリーを見せる数少ないライダーだった。

 しょーやは3人兄弟の長男。父は設備業を営む。祖父、祖母、両親。近所には親戚が住んでいて家はいつも賑やかであり、家族の愛につつまれて育ったのだろうということがうかがえる、気持ちのいいまっすぐな青年だった。

【次ページ】 「しょーやが生きていたら…」

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#富沢祥也

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