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高校サッカー消えた天才…金髪ピアス司令塔「えらい色になった」、意外な職に就いた“セクシーな9番”が「人生を変えた」と語る青春ウラ話
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byJIJI PRESS
posted2024/01/06 17:02
「セクシーフットボール」で高校サッカー日本一となった野洲高校。選手権を語るうえで欠かせない“消えた天才”たちを振り返る
2001年度の選手権、焦点は前年度に大久保嘉人らを擁して日本一に輝いた国見が、連覇を果たすかどうかだった。柴崎晃誠や徳永悠平らのメンバーが残る中で順調に決勝進出を果たした一方で、ファイナルの舞台に上がってきたのは片桐が在籍した岐阜工業だった。
「チーム成績と違い、得点王は個人名が残る。ぼくはJリーガーになって、サッカーでメシを食う生活がしたかった。そうなるには、個人として結果を残さなきゃいけない。それには得点王がいちばんですから」
こう語った通り、選手権時点で片桐にプロからの声はかかっていなかった。その目的を果たすために何より分かりやすいものは結果……ということで、得点王になることを自分に課した。
得点王になるには、チームが勝ち進まなきゃいけない
ただその一方で、片桐はエゴイスティックなストライカーだったわけではない。
「得点王になるには、チームが勝ち進まなきゃいけない。ですからフィニッシュを狙うだけでなく、囮になって周りを生かすプレーを増やしました」
こう語る通り、片桐は決勝までに6ゴールとともに4アシストをマークしている。相手守備陣が自分を警戒したと見るや、味方へのおぜん立てを選択する冷静さも兼備していたのだ。
この結果を受けて名古屋グランパスが声をかけ、片桐はプロキャリアをスタートさせることになる。名古屋では出場機会を得られなかったものの、アルゼンチンの武者修行を経て地元のFC岐阜で結果を残し、ヴァンフォーレ甲府で主力としてもプレーしたのだった。
「おちょくっている気持ちは一切なかった」野洲スタイル
<名言3>
人生を大きく変える大会でした。
(青木孝太/NumberWeb 2023年12月29日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/860159
◇解説◇
近年は日程が緩和化されつつあるが……選手権は約10日から2週間ほどで最大6試合をこなすゆえ、走力やフィジカルを前面に打ち出すスタイルが重視される側面があった。それを根底から覆すような戦いぶりを見せたのが、第84回の野洲高校である。
後方からボールをつなぎ倒し、2列目から前線のアタッカーは積極的にドリブルで仕掛け、コンビネーションで相手の守備網をこじ開ける。山本佳司監督と街クラブのセゾンFCの岩谷篤人監督が地域一体で作り上げた小気味いいスタイルは「セクシーフットボール」という愛称で一気に浸透した。
乾貴士や楠神順平、田中雄大と後にJリーグで活躍する選手を輩出した中で、フィニッシャーとしての才能をいかんなく発揮したのが背番号9の青木だった。