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14年の歳月を経て、日産自動車野球部は、なぜ「活動再開」することになったのか? その「想い」に迫る 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byYuki Suenaga

posted2023/12/27 17:01

14年の歳月を経て、日産自動車野球部は、なぜ「活動再開」することになったのか? その「想い」に迫る<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

12月21日、日産自動車株式会社で記者会見が行われた。監督に伊藤祐樹氏(右)とヘッドコーチに四之宮洋介氏(左)が就任した

 2008年に起こった「リーマンショック」による世界的な経済金融危機のあおりを受けた形ではあったが、その発表は野球界を震撼させた。

 確かに企業スポーツは、親会社の経営状況に左右されるのは仕方がないところではある。しかしある意味で「企業の顔」だった野球部が休部に追い込まれた背景には「社会人野球そのもの」のステイタスの変化があったことも見逃せない。

 社会人野球は戦前に始まった「都市対抗野球大会」に端を発し、戦後急速に発展した。高度経済成長期には、社員の「福利厚生」「一体感の醸成」を目的として、多くの企業が野球部を持つに至った。高校、大学から入社した選手たちは、社業の傍ら、練習に励み「企業の代表」として大会に出場した。大きな試合では、職場ごとに大応援団が結成され、派手な応援合戦で盛り上げた。「社会人野球」は「プロ野球」「高校野球」とは異なる独特の文化を築き上げてきたのだ。

 しかし経済成長がひと段落して、企業そのものが変質し、終身雇用が揺らぐなど働く社員たちのライフスタイルも多様化する中で「わが社の野球チーム」を取り巻く環境も変化した。

 社会人野球では、企業が直接野球チームを保有する会社野球チームは減少し、他に仕事を持つ選手によるクラブチームが増加したのだ。

 日本野球連盟の統計によると1978年には連盟加盟チームの内、会社チームは179、クラブチームは131だったが、2008年には会社チームは84、クラブチームは269になった。2021年は会社チーム97、クラブチーム249と多少持ち直している感があるが、2021年の場合、会社チームには「専門学校チーム」が10含まれていて、実際にはそれほど増えていない。

 新型コロナ禍で、経済的に厳しいクラブチームの中には、活動を休止したチームもある。会社、クラブも含めて、社会人野球は「縮小」しつつあると言ってよかった。それに代わってここ数年「独立リーグ」の台頭が目立つ。

 特にプロ野球を志望する選手にとって「社会人野球は高卒の場合3年、大卒でも2年在籍しないとドラフト指名されないが、独立リーグなら1年で指名される。それに社会人野球から育成指名はないが、独立リーグは育成でも指名される。プロに行くなら独立リーグの方が早道だ」という声も聞こえてくるのだ。

日産自動車野球部の再開に期待されるもの

 そうした状況だっただけに「日産自動車硬式野球部」の復活は、本当に大きなニュースだ。

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