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「はっきり言えば、クビでした」青学大・原晋監督が実業団ランナーを引退した日…「会社員としても戦力外に近かった」元選手サラリーマンの逆転物語 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byNanae Suzuki

posted2024/01/14 06:00

「はっきり言えば、クビでした」青学大・原晋監督が実業団ランナーを引退した日…「会社員としても戦力外に近かった」元選手サラリーマンの逆転物語<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

今や箱根駅伝の名物監督となっている原晋。現役時代はどのようなランナーだったのか

 仕事への意欲には満ちていたのに、原は(くすぶ)っていた。そんな時、会社が新事業を立ち上げることになり、プロジェクト・メンバーの社内公募があった。原は「待っていても仕事は来ない」と手を挙げ、新事業のメンバーに選ばれた。

 原が担当したのは「エコアイス」という商品だ。割安な夜間電力を利用して、夏は氷、冬は温水を使って昼間の空調に利用するシステムである。

「この商品の営業を担当しました。お得意先にマニュアル通りに説明しても、面白いとも思えなくてね。私の方法は、こんな感じです。学校にエコアイスを勧めた時は、学校は夏休みに空調機器を使っていませんから、基本的には必要のない設備かもしれない。それでもまだ『エコ』という言葉が浸透していない時代に、『これからはエコの時代です。商品だけではなく、太陽光発電も付けて、子どもたちの学習の場にしてください。そのためには私たちが出前授業もさせていただきます』と提案しました。単なる空調機器ではなく、教育機材として提案する方法に切り替えたんです。それにパチンコ店にも提案しました。『エコアイス・キャンペーン』と新台入れ替えキャンペーンみたいな形で話題に使ってください、と営業したりね」

 原はキャッチフレーズを作るのがうまい。2015年の箱根駅伝では、「ワクワク大作戦」という言葉を編み出し、その分かりやすさにメディアは食いついた。アイデアを単純な言葉に置き換えるのがうまいのである。そうした独自の言葉を作り出すのは、勉強だけでなく、自分の足で稼いだ上で獲得していくものだという。

活躍に異例の人事が発令

「徳山市(現・周南市)の産業道路沿いに、バアーッと会社が並んでるんです。ひとつひとつの会社に飛び込み営業をかけたことがあってね。それはノルマを達成するためじゃなく、何人ものお客さんから話を聞き、質問を受けることが目的だったんです。お客さんはどんなことを知りたいのか。それは会社が用意するマニュアルじゃ分からない。お客さんから質問を受けることで、だんだんと自分の言葉が見つかっていくんです」

 エコアイスで結果を残したことで、原は次に会社が新規事業を立ち上げるプロジェクト・メンバーの5人に選ばれ、広島の本店に帰る。

 今度は手を挙げたのではなく、指名である。サービスセンターまで飛ばされた人間が本店に戻ることは、通常では考えられない人事だった。原は、自力で帰ってきたのだ。

<つづく>

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#2に続く
妻&母は猛反対、中国電力社員・原晋がそれでも青学大監督のオファーを受けた理由「陸上の夢を諦めきれなかった」「最初の数年間は“寮監”でした」

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