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「はっきり言えば、クビでした」青学大・原晋監督が実業団ランナーを引退した日…「会社員としても戦力外に近かった」元選手サラリーマンの逆転物語
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byNanae Suzuki
posted2024/01/14 06:00
今や箱根駅伝の名物監督となっている原晋。現役時代はどのようなランナーだったのか
たまたま、世羅高の2年後輩が青山学院大の陸上部の卒業生で、母校が監督を探していると聞き、原を紹介したのである。
「でも、私は中国電力ではほとんど走っとらんし、その後は普通のサラリーマン生活を送っていた。競技歴も、指導歴もほとんどなかった」
指導者としての実績もなく、サラリーマンとして見通しが立っていた原が、なぜ監督になったのか。そこには陸上で結果を残せず見下され、それを見返したいという「反骨心」があった。
高校では「納得できない規則もありました」
高校時代は世羅高の主将として、全国高校駅伝で京都の町を走った。
「まだ昭和の時代だったし、上下関係はそれは厳しかったですよ。寮の電話番をしていて、居眠りすると怒られたり、納得できない規則もありました。私はそれが嫌で、自分が最上級生になった時にずいぶんと雰囲気を変えたつもりです。もっと、楽しくやりたくてね。私が3年生だった時の1年生が、青山学院大に進み、私を大学に紹介してくれた人物なんです」
人の縁が、人生に大きな影響を与える。
『鳴り物入り』での入社、しかしケガに苦しむ
東京の大学に進みたいという気持ちもあったが、父が教員で、将来は体育の先生になって故郷に帰るというぼんやりとした人生設計もあり、中京大の体育学部に進んだ。