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甲子園の風BACK NUMBER
「練習中に土の中からフクロウが…」サッカー大国ブラジルで野球の指導? 兵庫の《県立進学校野球部》監督が注目される“異色の経歴”
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byFumi Sawai
posted2023/12/05 06:00
兵庫県立御影高校野球部で指揮を執る今泉友秀監督。インドネシアやブラジルでの野球指導という異色の経験がある
「特別支援学校には自分で言葉を発せない子供もいる。そういう子たちと向き合って、色んなことを学びました」
特別支援学校には10年間赴任しているが、うち3年間は文科省公認の派遣制度を利用し、インドネシアの日本人学校でも教壇に立った。
「日本人学校は義務教育である小中学校しかないので、僕が言ったのも小中学校。他国にいる子供はどうなのかという興味がありました。インドネシアはイスラムの国なので、街中にあるスピーカーから毎朝、日中の決まった時間にコーランが流れるんです。イスラム語を勉強したし、イスラム教の文化に触れることができました」
帰国後は伊丹北高に転任し、野球部部長として8年間チームを支えた。
だが、毎日当たり前のように過ごす日々に、徐々に違和感を覚えるようになったという。
「高校野球にずっと携わっていると、高校野球のやり方、見方が似通ってくるんですよ。ちょっと違う野球に関わりたいと思うようになって……。ちょうどその頃は50歳前になって、野球で何か貢献したいと思うようになったんです」
JICAのシニアボランティアで“サッカー大国”ブラジルへ
そんな時、目にしたのがJICAのシニアボランティアの募集要項だった。
その中でブラジル行きの項目に目が止まった。サッカー大国・ブラジルでの野球はどう見られ、生きているのか。興味が徐々に増し、応募を決意。
だが、応募する前に校長先生の了承が必要だった。
「2年連続で応募したんですけれど、1度目は採用されなかったのでまた応募したら、2度目の時は当時の校長先生に“もう、(日本で教員として)仕事したらええやん”って言われました。2度目でようやく派遣が決まったのですが、期間は6月からの2年間。日本の新学期から見ると中途半端になってしまうので、3月に帰国できるように交渉して、校長先生にも何とか了承をいただきました」
高校生の進路相談に乗って日々感じていたのが、今、やりたいことをなかなか見いだせない子供が多いことだった。
「将来何をしたいかを問うても何もやりたいことがないという子が多い中で、やろうと思えば何でもできるということを教師として示したかったんです。あの当時、僕はあと何年野球に関われるか分からないけれど、自分の野球観をちゃんと見たかったし、野球を通して何でもできるというところを見せたいというのもありました」