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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「なぜ岡田彰布を使わないのか」1980年、阪神ファンが激怒した“大騒動”の内幕とは? 当時を知る安藤統男の証言「ブレイザー監督の考えは…」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2023/10/23 11:04
1980年、ルーキーイヤーの岡田彰布と守備走塁コーチ(当時)の安藤統男。鳴り物入りで入団した岡田の能力はすでに一流レベルにあった
大学時代にはサードだった岡田だが、前述したように当時の阪神には「ミスタータイガース」として全盛期を迎えつつあった掛布がレギュラーとして君臨していた。チーム事情を鑑みると「セカンド・岡田」が現実的であり、理想的でもあった。しかし……。
「私も含めて、当時のタイガース首脳陣は“岡田はセカンドがいいだろう”と考えていました。でも、監督だけがその考えに反対していたんです」
ブレイザー監督には、どんな考えがあったのだろうか?
「岡田を出せ!」ブレイザー監督に対するファンの不満
「岡田は即戦力でしたけど、メジャーではどんなに力がある選手でも“1年目は育てる年”という考えがあったようで、ブレイザーは岡田の起用には慎重で、ヒルトンを使い続けました。ヒルトンが打っていれば何も問題はなかった。でも、このときのヒルトンは絶不調で、ますます岡田待望論が強くなっていきました」
1978年、ヤクルト優勝の原動力となったデーブ・ヒルトン。前年は極度の不振でヤクルトから自由契約となっていた。そのヒルトン獲得を決めたのがブレイザー監督だった。ヒルトンと岡田の守備力について、「守備走塁コーチ目線」で安藤に振り返ってもらった。
「岡田は大学時代まではサードでしたから、慣れという点ではヒルトンの方に一日の長がありました。と言っても、特別上手なわけではなく、あくまでも普通という程度です。それに右肩を故障していて強いボールを投げられなかった。むしろ私が驚いたのは、初めてにもかかわらず岡田のセカンド守備が上手だったことです。セカンドは度胸がないと務まらないんですが、彼には最初からそれがあった」
セカンドには度胸が必要――どういうことだろうか。安藤の説明は続く。
「ダブルプレーです。現在と違って、当時はスパイクの歯を向けてくるスライディングが当たり前でした。しかもゴム製のイボイボではなく、金具の歯のついたスパイク。現役時代、私もセカンドを守りましたが、左足の脛は傷だらけですから。だけど、それを恐れてしまうと一塁に速い送球ができない。ダブルプレーというのは、あくまでもセカンドベース上で行うもの。でも、そうなれば当然、ランナーにスパイクされるんです。だけど、岡田はそれをまったく気にしていませんでした。しかも、彼の場合は肩が強い。それも魅力でしたね」