- #1
- #2
プロ野球PRESSBACK NUMBER
「なぜ岡田彰布を使わないのか」1980年、阪神ファンが激怒した“大騒動”の内幕とは? 当時を知る安藤統男の証言「ブレイザー監督の考えは…」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2023/10/23 11:04
1980年、ルーキーイヤーの岡田彰布と守備走塁コーチ(当時)の安藤統男。鳴り物入りで入団した岡田の能力はすでに一流レベルにあった
ブレイザーは岡田を認めていなかったわけではない
「いろいろ大騒ぎはありましたけど、ブレイザー監督は決して岡田のことが嫌いだったわけでも、実力を認めていなかったわけでもなく、あくまでも“ルーキーはじっくりと身体を鍛えるべきだ”というアメリカンスタイルにこだわっていただけだと思います。そして、岡田は新人王を獲得しました。やはり、実力があったということでしょう」
安藤の言うように、ルーキーイヤーのこの年、岡田はサード、セカンド、ファーストなどを守り、108試合に出場して規定打席にも到達。打率.290、18本塁打、54打点で新人王に輝いている。8月19日にはセ・リーグ通算2万号本塁打も放ち話題にもなった。そして、翌1981年からはセカンドのレギュラーに定着。阪神を代表するスター選手の仲間入りを果たしていく。
「81年は二軍監督だったので、岡田のことは間近には見ていません。けれども、翌82年から私は一軍監督に就任しました。この年、岡田は3割を打っているはずですよ。掛布と並んで完全にチームの中心でした」
安藤の言う通り、82年の岡田は打率.300を記録している。順風満帆な成長曲線を描いていたが、83年に試練が訪れる。それは安藤監督2年目のことだった――。
<後編に続く>