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「鼻が曲がっちゃったけど、まぁいっか」ラグビーW杯“死闘”を制した“南アの鉄人”が世界一になるために日本を選んだ理由…来日6年目「箸は完璧」
posted2023/10/17 11:03
text by
藤原志織Shiori Fujiwara
photograph by
Kiichi Matsumoto
今稿では、そのうちの一人で、来日6年目を迎えるFL/No.8クワッガ・スミス(30歳/静岡ブルーレヴズ)の素顔に迫った。スプリングボクスを象徴する鋭さと速さを併せ持つ仕事人は、なぜ日本にやってきたのか。ブルーレヴズの記者が明かした。
クワッガ・スミスは、生まれ育ったアフリカの大地のようにいつも悠々としていておおらかだ。
子どもの頃、ミニバイクで転倒し顔を負傷したときも、「鼻がちょっと曲がっちゃったけど、まぁいっか」で終わり。周囲からは、「ちゃんと治した方がいいんじゃ……」と言われたが、曲がった鼻も別に気にしていなかったし、何なら嫌いじゃなかった。
だからクワッガの鼻は、スプリングボクスの緑のジャージーに袖を通して世界と戦うようになった今も、少しだけ傾いたままだ。
ラグビー強豪校で「ハードル走」にも挑戦
故郷は、南アフリカ東部に位置するライデンバーグという小さな町。農園を営む両親のもとに生まれた。2歳上の兄と、広大なファームに遊びにくる野生動物たち、そして家族にプレゼントしてもらった楕円型のボールが、幼い頃から一番の友達だった。トウモロコシや大豆、ナッツ類が育つ敷地の中には、両親が立ててくれた2本のラグビーポールがあり、毎日暗くなるまで、広い広い草原を駆け回った。
「テレビゲームはなかったけど、僕にはいつもラグビーボールがあった」
10代半ば、いつか南アフリカを背負って立つ選手になる、という夢と一緒に実家を離れ、国内屈指の強豪校として知られるミッデルバーグ高校に進学。切磋琢磨のなかでスキルを身につける傍ら、オフシーズンには陸上競技の練習も本格的に行った。バーを飛び越える際に加速が求められるハードル走を通して、タックルをかわしていく俊敏性とスピードを養った。
その実力が最初に認められたのは、7人制ラグビーの舞台。着々と代表キャップ数を増やし、2016年にリオ五輪に出場し、銅メダルを獲得した。2年後には憧れだったスプリングボクスのメンバーに初めて選ばれ、同じ年の夏、25歳のときに来日を決意。南アフリカの名門クラブ、ゴールデン・ライオンズから、静岡県磐田市に拠点を置くヤマハ発動機ジュビロ(現・静岡ブルーレヴズ)に加入した。