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命を賭してA級順位戦に…死の4カ月前、不屈の大名人・大山康晴が挑んだ“最後の大勝負”「あのプレーオフこそ大山先生の絶局だった」
text by
北野新太Arata Kitano
photograph byMasaru Tsurumaki
posted2023/10/15 17:00
1992年3月、大山康晴はがんと闘いながら名人挑戦権を争う順位戦A級プレーオフに進出。同年7月、A級在籍のまま69歳でこの世を去った
観戦記者に「名人戦の日程、教えといてね」
形勢良しと判断したのか、大山は対局室で観戦記者と言葉を交わす余裕も見せた。
「名人戦の日程、教えといてね」
「3回も勝たなくちゃいけないから大変」
勝負が変調したのは、夕食休憩が終わって夜戦に突入した頃だった。大山には自陣の左辺最下段の飛車を右辺へ大転回させ、一気に高橋陣への成り込みを実現させる必勝の手順があったが、逸してしまう。
「指していれば決め手になっていたと思います。大山先生も私も錯覚していた手でした。でも、あの手順を逃しても依然として形勢は後手良しです。むしろ問題はそれから。人間同士の戦いにおける本当の勝負になってからでした」
夜戦直前の勝負所では30分以上の考慮を3度も続けた大山だが、夜が深まるにつれ指し手のペースを速めていく。持ち時間を1時間以上残しているにもかかわらず。高橋は微妙な違和感を覚えていた。
「まだ決めに行ける局面ではないのに、もう将棋を決めに掛かっているようでした」
わずか1分の考慮の後、歩を突いて穴熊の破壊を直線的に目指した大山の選択を見て、高橋が抱いた感覚は確信に変わる。
「大山先生の指し手は前のめりになっていました。いつもなら石橋を叩いても渡らないのが大山将棋です。勝ちにいくのではなく、丁寧に負けない手を優先し続けることで相手を辟易させ、手出しできなくさせる。でも、あの終盤は駒を前に出して自分が勝ちに出ていく指し方でした。負けまいとするのでなく、勝とうとしていた」
一瞬の隙に反撃に転じた高橋は、直接王手の銀を打ち込んで後手の飛車を捕獲する。戦況は逆転へと傾いていく。