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「校舎3階の窓ガラスを破壊、相手のセカンドがライトの位置に」阪神“不動の中軸”佐藤輝明…野球部元相棒が語る高校時代の《サトテル伝説》
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by本人提供
posted2023/10/19 11:00
仁川学院高時代は捕手を務めていた佐藤とエースだった桑田の2人。兵庫の非強豪校でどちらも1年時から活躍を見せていた
「僕はレフトでテルはキャッチャー。1年生同士の試合とかだと僕が3番、テルが4番でずっと出ている感じでした。でも、そもそも高校がプロ野球選手の出るようなところじゃないので、2人とも全然プロなんて考えてなかったです(笑)」
それでも目標は「甲子園」。強豪校ではないとはいえ、練習はそれなりに厳しかった。そしてそんな中、1年生の冬になる頃に桑田は佐藤の変化に気づくようになる。
「テルの体が明らかにデカくなってきて。テルの家は学校から5分くらいのところだったんですけど、練習が終わって帰ってからプラスアルファでジムでトレーニングをしはじめたみたいでした。
食事もめちゃくちゃ気にしていて、いま考えると良いことではないんですけど(笑)、授業中でもプロテイン飲んだり、お弁当食べたりして。当時の高校生にしては珍しく、栄養補給にもすごく気を使っていたと思います」
もともと佐藤の野球センスの良さは桑田も分かっていたという。ただ、体の小ささもあり、そのセンスを活かしきれていないということも感じていた。それが一冬を越える頃には、佐藤は全く違う印象の選手になっていた。
冬を越えて進化した佐藤の「フィジカル」
桑田の記憶に残っているのが、2年生の春に行ったダブルヘッダーの試合だという。
「テル、最初はベンチだったんですよ。1年生の時もベンチが基本で、代打で出ることが多かった。ですけど、ダブルヘッダーの1試合目に代打で出て、いきなりホームラン打ったんです。それで2試合目は4番に座ったんですけど、今度は1打席目にライトオーバーの2ベースで、 2打席目にまたホームラン。1日で2本ホームラン打って。それでチームの4番が確定した感じになった。その辺から『あれ、テルってちょっと並と違うんか?』ってなっていきました」
この年、仁川学院高は夏の県大会で4回戦まで進出する。尼崎工に1点差で敗れたものの、結果がついてきたこともあって、この夏の「3番桑田、4番佐藤」の2年生クリンナップは翌年までの不動の打順となっていた。
また、この大会が終わると桑田はその時守っていた遊撃手から投手へとコンバートされ、同時にチームの主将にも選ばれた。捕手だった佐藤とは結果的に2年生の秋季大会と3年生の春季大会ではバッテリーも組むことになる。