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大学野球PRESSBACK NUMBER
長嶋茂雄でも岡田彰布でもない…東京六大学最高打率「.535」を叩き出した慶応大“伝説のバッター”は、なぜ26歳で球界を去ったのか?
posted2023/09/17 11:02
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph by
Sankei Shimbun
何を投げられても対応できる感覚
「ボールが止まって見えた」
かの有名な「打撃の神様」川上哲治が残した言葉だ。2001年秋。慶応大の喜多隆志は、その境地を垣間見た。歴史と伝統に彩られた東京六大学秋季リーグで、打ち立てた43打数23安打、打率.535の記録はシーズン史上最高打率。六大学屈指の名打者、長嶋茂雄(立教大)でも、高田繁(明治大)でも、岡田彰布(早稲田大)でも、高橋由伸(慶応大)でもない。偉大な先人たちですら届かなかった、そして20年以上が経過した今でも破られることのない金字塔としてその名を刻み続けている。
「誰か早く破ってよとは思いますけどね(笑)。でも、あの時はボールが止まって見えるみたいな、何を投げられても対応できる感覚は正直ありました。技術的に何かを意識した訳じゃなく、本当に『何で?』っていうぐらい状態はよかったですね」
多田野のスライダーを自打球で入院
実は「不安の中で臨んだ」大学ラストシーズンだった。智弁和歌山時代は1996年センバツで準優勝、1997年夏の甲子園で優勝し、高校2年生から2年連続で高校日本代表に選出。慶応大でも1年春からレギュラーとして試合に出場し続けた。
ただ、最上級生となり、ドラフト上位でのプロ入りも視野に入ってきた2001年春のリーグ戦で歯車が狂う。立教大戦。苦手としていた多田野数人のスライダーを強振した直後、右すねに自打球をもろに当ててしまう。
「自打球が当たった後もそのまま治療せずに放置していました。そうしたら、右足がすごい熱を持って、あざも下に落ちてきて、だんだん体がおかしくなってきて……」
翌週の明治戦。スパイクが履けなくなるほど右足が腫れ上がる中で強行出場も連敗。その夜に嘔吐を繰り返し、ようやく病院へいった。医者の診断は「蜂窩織炎」だった。