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「日本の野球は甲子園を神聖化する傾向がある」慶応監督が否定する、指導者の選手“使い捨て”思考「高校野球はあくまでも通過点」 

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森林貴彦

森林貴彦Takahiko Moribayashi

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photograph byNanae Suzuki

posted2023/08/18 17:04

「日本の野球は甲子園を神聖化する傾向がある」慶応監督が否定する、指導者の選手“使い捨て”思考「高校野球はあくまでも通過点」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

甲子園を神聖化し、高校生たちに過度な負担が強いられているのではないかと慶応・森林貴彦監督は指導者の問題を指摘する

 私が監督2年目のときのエースで、慶應義塾大学に進学した森田晃介(こうすけ)という投手がいますが、2019年秋の東京六大学野球の立教大学戦で1安打完封という素晴らしいピッチングを見せました。高校時代は体もそれほど大きくなく、球速も140キロが出るか出ないかといったレベルでしたが、その立教戦では最速149キロを記録するなど、目覚ましく成長していました。高校レベルではそれなりに投げられていても、大学では通用するのかなと思っていましたが、体格も良くなり、球も速くなって、実際に活躍をしています。

甲子園優勝で、すごいチームと言われるが…

 こうした選手の姿を見ると、小学校、中学校、高校は成長していく途中の段階に過ぎないと感じますし、だからこそ、より野球を好きにさせてあげて、次のレベルに送り出してあげるべきだと強く感じます。各段階で身に付けるべきことは当然ありますが、目の前の試合に勝ちさえすればいいという価値観からは絶対に脱却しなければいけません。

 日本の野球は甲子園を神聖化する傾向があり、甲子園に出場できるかどうかが評価の基準となっていて、甲子園で優勝すればすごいチーム、すごい監督だと言われがちですが、本当にフォーカスすべきところは、もっと先にあるということです。

 付け加えれば、全員がプロ野球選手になるわけではないので、勝ち負けやプレーだけでなく、野球を通してどれだけ人間として育ててあげられるかということを考えなければいけません。選手の体の状態を無視して酷使したり、勉強をおろそかにさせるといった“使い捨て”の思考では絶対にいけないということです。大学やプロ、あるいは社会に出てから活躍できるようになるためには、その土台となる勉強は絶対に必要だと言えます。

もちろん勝利は目指す。ただ…

 ただし、だからといって、試合に勝たなくてもよいということでは決してありません。選手個々の将来を見据えた成長、目の前のゲームでの勝利、いずれも実現させるという困難なミッションから、指導者は絶対に逃げてはいけないのです。それを続けていかなければ、高校野球の意味、意義、価値はありません。

 序章でも記しましたが、高校野球というものを通じて、やはり野球やスポーツの価値を高めたいという思いが強くあります。「野球をやっていると、こんなにいいことがある」「保護者の視点から見ても、自分の子どもがこんなにも成長する」という側面を、世の中に見せていかなければ、野球が選ばれなくなり、ひいてはスポーツ全体も発展していかないのではないかと思います。

【次ページ】 勉強か、部活かの二極化

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