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「日本の野球は甲子園を神聖化する傾向がある」慶応監督が否定する、指導者の選手“使い捨て”思考「高校野球はあくまでも通過点」
text by
森林貴彦Takahiko Moribayashi
photograph byNanae Suzuki
posted2023/08/18 17:04
甲子園を神聖化し、高校生たちに過度な負担が強いられているのではないかと慶応・森林貴彦監督は指導者の問題を指摘する
勉強か、部活かの二極化
また近年の傾向として、野球に限らずスポーツ全体が“するもの”から“見るもの”へとシフトチェンジしていることも、私は危惧しています。実際、プロ野球の観客動員はかなり増えていますが、一方で野球をやる子どもの数は減っています。さらに、オリンピックやラグビーのワールドカップなどに顕著ですが、多くの方がスポーツをエンターテインメントの一つとして捉えて、自分がやるものではないと考えている風潮があるように思います。さらには学校の現場も同様の傾向が出てきており、部活の時間を削って、授業の時間を増やすという考え方に傾いてきています。進学校はより顕著で、かつては浪人覚悟で部活を一生懸命やって、引退してから勉強を始め、そこでよく伸びる選手は東大や京大に受かるといった事例も少なくありませんでした。しかし、いまはこうした風潮の学校が徐々に減ってきており、勉強をする生徒は勉強だけ、部活をする生徒は部活だけといったように、二極化の傾向が表れてきているのです。
野球の価値を高めなければいけない
もちろんこうした傾向を一概に否定することはできませんが、自分でプレーして初めて、分かることは絶対にあります。野球がうまくなるだけではなく、人としての成長も実現できる。それが野球をやることの価値であると、私は信じています。それを多くの人に理解してもらいたいですし、その価値をもっと高めなければ、野球離れ、スポーツ離れはより速度を増して進んでいくような気がしてなりません。そして、いまがその分かれ目であるとも感じています。
<「高校野球の教育的問題」編もあわせてお読みください>
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