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「高校野球は“やらされ感”が強い」慶応高監督が危惧する、野球離れの深刻化「魅力的に見えづらい」「だからこそ慶応は“野球を楽しむ”」 

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森林貴彦

森林貴彦Takahiko Moribayashi

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photograph byNanae Suzuki

posted2023/08/15 06:02

「高校野球は“やらされ感”が強い」慶応高監督が危惧する、野球離れの深刻化「魅力的に見えづらい」「だからこそ慶応は“野球を楽しむ”」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

「他の競技に比べ、高校野球は“やらされ感”が強い」と指摘する慶応・森林貴彦監督。それが「子供の野球離れ」につながっているのではないか、と説く

 ここで話を進めるにあたって、前提としておかなければならないことを記しておきます。それは、この方法はあくまで選択肢の一つに過ぎないということ。その学校の指導者の哲学やチーム事情などを鑑みて、ケースバイケースで適した方法を選ぶことが大切であるのは間違いありません。慶應義塾高校野球部の理想は、高校野球全体の理想ではなく、あくまで慶應義塾高校野球部のものであり、それが高校野球における選択肢の一つとなればよい、という思いです。「そういう視点もあったのか」という気づきを与えられる存在になれれば幸いで、「すべてのチームが慶應のようになるべきだ」などとは、まったく考えていません。

 しかし前述したように、高校野球は許される範囲が大変に狭く、その範囲に収まらない取り組みは批判されたり、異端扱いされたりする風潮は確実にあります。そこは絶対に変えていくべきで、そのための努力を惜しむつもりはありません。

自由研究と受験勉強

 自ら考えて工夫することの利点は、考えているうちに野球が自然と楽しくなっていくことにあるのではないでしょうか。例えるなら、受験勉強と、夏休みの自由研究の違いと言えるかもしれません。自由研究は自分の好み・興味からテーマを決めて探究するものなので、どんどんのめり込めて、身に付くものや得られるものが多いのが特徴です。

 一方の受験勉強は、「やらされている」「やらなければならない」という側面が強くあります。それでも身に付くものもあるため、そのすべてを否定はできませんが、これからの高校野球は“自由研究型”にあたる、自ら進んで楽しみながら取り組む姿勢がもっと認められるべきだと考えます。これはクラブ活動そのものがもつ本来の意義であり、楽しいからこそ工夫し、努力を重ねられる。その結果、プレーのレベルが上がり、チームも強くなれば、さらに前向きに取り組めるという好循環で物事が回っていきます。

慶応は“好きだからやっている”

 “やらされる練習”の場合は、こうはいきません。仮にできることが増えたとしても、それは自主的にできるようになったわけではなく、やらされているうちになんとなく身に付いたもののため、いいサイクルにはなかなか入りづらい。目の前に“甲子園”という分かりやすい目標があるために頑張れているだけで、野球をそれほど楽しいと感じていない選手が、一定の割合でいるような気がしてなりません。そして、この“やらされている”感覚は、高校の他の競技と比較しても、野球にはより強くあるように感じます。そうなると、野球は他者から魅力的な競技に見えづらく、子どもたちの野球離れはますます加速してしまうのではないでしょうか。

【次ページ】 監督の言うことだけを聞いていては見られない景色

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