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「大竹耕太郎は泣いていた」熊本の超進学校が大阪桐蔭に挑んだ日…済々黌高の恩師が明かす“本当の顔”「納得しないことはやらない」
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byJIJI PRESS
posted2023/06/21 11:03
「熊本の超進学校出身」で甲子園出場も果たした大竹耕太郎。高校時代は大阪桐蔭と対戦していた
大竹の母校…済々黌高校とは?
ところで、大竹を擁して大阪桐蔭と善戦を繰り広げたこの済々黌。いったいどんな学校なのか。甲子園期間中、同校の核心を表す“あるシーン”があった。池田が明かす。
「甲子園に向かう新幹線でも、着いてからのバス移動の最中も、負けて熊本に帰る新幹線でも、みんな参考書やノートを広げて勉強してました」
熊本市中心街の北寄りに位置する済々黌高校は、県内で最も古い1879年(明治12年)に創立された伝統校だ。県内屈指の難関校でもあり偏差値70超とされる。
学校名は中国の古典である五経の「詩経」にある「済々たる多士 文王以て寧(やす)し」から取られた。「黌」は学校の意味。卒業生を「多士」と呼び、校長を「黌長」、校門を「黌門」と表記する。卒業生は約4万5000人を数え、政治や経済や学術など多くの分野にOBを輩出してきた。
そんな済々黌だが、熊本県民のあいだでは「県勢で唯一、甲子園で優勝したことのある学校」としても語り継がれている。
県内にはヤクルト・村上宗隆の母校である九州学院や、川上哲治や伊東勤、前田智徳、荒木雅博ら数々の名選手を生んだ熊本工業といった野球名門校も存在するが、甲子園制覇は済々黌のみ。1958年センバツ甲子園のことである。和暦になおすと昭和33年。それでもピンとこないが、準々決勝ではあの王貞治を擁する早稲田実業を破って勝ち上がり戴冠を果たしたと聞けば、語り継がれるという表現も納得ではなかろうか。
なぜ強い?「基本はほったらかし」
学業優秀かつスポーツ万能な野球少年の憧れの先にある公立の超進学校。とはいえ、野球名門校とがっぷり四つで組み合っては勝ち目がない。済々黌野球部には「同じ土俵で野球をしない」という伝統があるのだと、池田は言う。
この表現には試合中の作戦も含まれるが、なにより驚いたのは「うちはミーティングをやらない」という言葉だった。