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「大竹耕太郎は泣いていた」熊本の超進学校が大阪桐蔭に挑んだ日…済々黌高の恩師が明かす“本当の顔”「納得しないことはやらない」 

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田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/06/21 11:03

「大竹耕太郎は泣いていた」熊本の超進学校が大阪桐蔭に挑んだ日…済々黌高の恩師が明かす“本当の顔”「納得しないことはやらない」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

「熊本の超進学校出身」で甲子園出場も果たした大竹耕太郎。高校時代は大阪桐蔭と対戦していた

「戦ううえで最低限の決まり事はありますが、あとは選手に任せます。基本はほったらかし。遠征先の宿舎でも自由行動です。僕自身も済々黌のOBなのですが、当時の末次義久監督も同じでした。いざ、自分が監督に就任したときに放任の理由を訊ねてみると『済々黌で選手を縛ったりしたら勝てない。みんな頭がいいんだから、なんでも自分たちで考えて出来るチームにならないと、済々黌は甲子園には行けないんだ』と。たしかに選手たちは指示をしなくても、自分たちで夕食後に練習をしたり、ビデオを用意しておけば勝手にそれを見て研究したりしていました」

 もちろん、やんちゃ盛り高校生の一面もある。間違った方向に行きそうになれば、叱る。だが、こと大竹に関しては叱った記憶がほとんどないと言う。

「手のかからない選手でした」

“納得しないことはやらない”大竹の姿

 トレーニングや体のケアを深掘りしたいと思えば大竹みずから専門家に聞き、それを実践した。池田の知らないうちに新しい変化球を習得していたこともあったし、2年生の夏の甲子園が終わってからの大竹は投げるだけでなく打つ方にも力を入れ始め、独自の練習法も取り入れていたという。

「ベンチ横でマシン打撃をよくやってましたね。大竹から見て流し打ちする方向にネットを置いて、ひたすらそこへ打つ。1人で黙々と長い時間。万が一打ち損なったらベンチに打球が飛び込むので冷や冷やしましたが、彼はお構いなし。自信があったんでしょう。とにかく、自分が決めたことは徹底的にやる子だったし、逆に納得しないことはやらない子でしたね」

 この話で合点した。ソフトバンク時代の取材で、大竹の風変わりな姿をよく見ていたからだ。登板日の試合前練習なのに、突如でんぐり返りや逆立ちを始めて周りをぎょっとさせたり。はたまたブリッジの姿勢のまま前後に動いてみたり、足元を見るとスパイクを履かないどころか裸足だったり……。以前、大竹本人に直接聞いた際、次のように語っていた。

「体の調子を見るための方法です。三点倒立は自分の感覚と体をチェックするため。自分では真っ直ぐだと思っていても、実際には傾いていることもある。どれくらいズレているのか、そのズレをどう埋めていくのか」

 大竹本人も「周りからちょっと浮くと思うんですけど」と苦笑いしていた。自覚はあった。だが、どんな顔をされようが、自分がコレと決めたものはとことん貫く。そんな大竹の源流は済々黌時代にあったのだと妙に納得した。

【次ページ】 元監督が明かす「最強世代」の後悔

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