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「ボロボロになった甲斐があった」21歳の松山英樹は“世界基準”に必死に食らいついていた…10年間で築き上げた“でっかい壁”とは?
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byYoichi Katsuragawa
posted2023/05/31 11:01
10年前と同じオークヒルズCCでの全米プロに出場した松山英樹(31歳)。5オーバーの29位タイに終わったが、11年連続の決勝ラウンド進出を果たした
全米プロはその4試合目で、シード獲得が目前に迫っていたところで迎えた。「とにかく予選通過だけは」と意気込んで臨んだ初日に74位と低迷し、2日目に挽回して28位で決勝ラウンドに進出。3日目に4バーディ、5ボギー1ダブルボギー73と後退したかと思えば、最終日の66で通算1アンダー、19位で終えた。ホールアウトするなり、息を吐きながら「(圏内に)入ったっすよね!?」と大股でスコア提出所に向かった姿があった。
あの連戦は松山の記憶に「ボロボロになった甲斐があった」とも刻まれている。
翌週の5連戦目、ウィンダム選手権は抱えていた疲労が限界を超えた。期間中のある朝、ストレッチ中に背中から腰にかけて激痛が走った。週末は終始“ベタ足”、おじいちゃんみたいな手打ちスイングを続けながら15位に入ってしまうのだから、勢いは恐ろしかったというほかない。
ミケルソン、ウッズ…遠かった世界の壁
晴れてPGAツアー進出を決めた若かりし頃の松山だったが、当時はなんだか妙な縁に恵まれていた。予選ラウンドで一緒に回った選手が、決勝ラウンドでも活躍するケースが実に多かったのである。
5連戦のはじめ、7月の全英オープンは予選を一緒に回ったミケルソンが優勝、8月ブリヂストンインビテーショナルでは初日、2日目で同組のウッズが圧勝、そして全米プロでもジェイソン・ダフナーが勝った。
世界最高の選手たちの、限りなく最高のプレーを誰よりも近くで体感できた……と言えば、聞こえがいいが、本人にしてみれば必死である。
10年前、松山の傍らでバッグを担いでいた進藤大典キャディは「松山選手はともかく、僕としては……逆に自信がなくなる感じだった」と苦笑して回想する。
「こいつらに勝たなきゃいけないの? この世界に飛び込まなきゃいけないのか? と思わされるような、彼らの圧倒的な力みたいなのは感じましたね」
目をそらしたくなるほど、大きくて、高くて、分厚い壁に怯みそうだった。
「あの頃はダフナーにドライバーの飛距離でも負けていたんだけど、今なら3番ウッドでも置いて行っちゃうよね」