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「ボロボロになった甲斐があった」21歳の松山英樹は“世界基準”に必死に食らいついていた…10年間で築き上げた“でっかい壁”とは?
posted2023/05/31 11:01
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph by
Yoichi Katsuragawa
十年一昔とはよく言ったもので、この10年でも多くのことに変化があった。政治や経済、社会問題にまで言及するつもりはないけれど、(少なくとも日本では)元号まで新しくなった。
ゴルフ界では10年前に世界ランキングトップに復帰したタイガー・ウッズはいま再び故障にあえぎ、同じようにキャリアの晩年を迎えているはずのフィル・ミケルソンは昨今、男子プロゴルフ界の“分断”の象徴になった。女子では韓国の朴仁妃がメジャー3連勝を飾り無類の強さを誇っていた時代から、いっそう国際色豊かな選手たちが頂点を競い合っている。
オリンピックの正式種目に復帰してから2大会が終わった。ルールはやさしく、わかりやすくをモットーに改訂を重ね、用具の面ではどうにかしてボールを遠くに飛ばさないようにというテーマのもと、すったもんだが続いている。
また2013年以降、日本に4人のメジャーチャンピオン(井戸木鴻樹、松山英樹、渋野日向子、笹生優花)が生まれたことも事実である。
つい先日行われた男子メジャーの全米プロゴルフ選手権で優勝したブルックス・ケプカは10年前、今年の会場になったオークヒルCC大会に出場した。タイガー・ウッズと一緒にプレーしたことが今も忘れられないという。
そして同じ年、当地で全米プロに初出場した選手の中には松山もいた。当時21歳。まだ大会が8月に行われていた時の話である。
10年前はプロに転向したばかり
松山はその年の4月、アマチュアからプロに転向。夏場は主戦場の日本ツアーで賞金王争いをリードしながら、翌シーズンのPGAツアーのシードを獲るべくスポット参戦を重ねていた。
PGAツアーは当時の松山のように正式メンバーでなくとも、出場機会を与えられた試合で稼いだ賞金(現在はポイント)が、シード権獲得のボーダーラインに相当すれば、翌年の出場権をゲットできる仕組み。メジャー大会や、推薦出場のオファーを受けて連戦をこなしていた。7月からは5連戦。全英オープンの英国から、カナダを経て米国に飛ぶタフなスケジュールだった。