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「トライアウトの選手を誘ったのに引退」Jで最も負けている強化担当が、徳島ヴォルティス改革に踏み切るまで…今も心に刻む“専門誌の酷評” 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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posted2023/04/05 11:19

「トライアウトの選手を誘ったのに引退」Jで最も負けている強化担当が、徳島ヴォルティス改革に踏み切るまで…今も心に刻む“専門誌の酷評”<Number Web> photograph by Atsushi Iio

徳島ヴォルティスの岡田明彦強化本部長。J1昇格とJ2降格など様々な経験をした中で得た知見とは

 過去の傾向を見ても、ボール非保持を強みにするチームはJ2を勝ち抜けてもJ1では通用せず、すぐに降格することが多かった。

「なぜ非保持のサッカーになるのかというと、技術のしっかりした選手をたくさん獲得できないというクラブ規模の問題も大きい。でも、難しくても、所属選手の能力を上げていくことにチャレンジしていかないと」

 成果はさっそく生まれた。翌13年、就任2年目となる小林伸二監督のもと、チームは発展途上ではあったもののJ2で4位となり、昇格プレーオフを制してJ1昇格を成し遂げる。

 しかし、現実は厳しかった。J1での戦績は3勝5分26敗に終わり、ホームでは1度も勝てなかった。

今でも保管している“J2降格時の酷評”

 J2降格が決まった直後に発売されたサッカー専門誌で、徳島はこんなふうに酷評された。

 ヴォルティスならではのカラーがまるで感じられなかった――。

 その雑誌を、岡田は今も保管している。

「悔しいというより、そうだよなって。ちょうど僕が強化部長になるタイミングで出た記事で、強化部長を何年やるか分からないけど、取っておこうと。13年は柴崎晃誠とかがいて、中盤のパス成功率は高かったんですけど、戦い方としてはまだまだだったから、14年のJ1ではまったく通用しなかった。上がることはできても、これでは絶対に残れないなって痛感して。

 J1へ行ったら、すべてが変わるんだろうな、みんなが幸せになれるんだろうな――そう思っていたんですよ。でも、そんなことはなかった。人もサーッと引いていくんですよ。予算は増えたんですけど、選手はそんなに来てくれない。そこでまた考えました。これをしたら勝てるという魔法のやり方なんてないじゃないですか。だから、このクラブはどういうスタイルを推し進めていくべきなのか、どうしたら、みんながハッピーになれるのかって」

リカルド・ロドリゲス招聘を決断した理由

 強化部長となった岡田が大きな決断を下すのは、16年シーズン終了後のことだ。クラブ史上初となる外国人監督を招くのである。

「16年は最終的に9位でしたが、尻上がりに調子を上げて後半戦だけだと4位だったんです。だから、継続するという選択肢もあったし、若い選手たちも少しずつ増えて、良くなってきたという手応えもあった。ただ、課題も感じていて。技術を高めて少しずつボール保持力も高まっていたんですけど、どこか攻守が別々のような感じがして。日本の場合、攻撃は攻撃、守備は守備と分けてトレーニングすることがあるじゃないですか。攻撃のことを考えて守備をして、守備のことを考えて攻撃をしないと、リアリティのないことが多くなってしまう。そこをどう変えていくか」

 そこで岡田が白羽の矢を立てたのが、スペイン人指導者で、U-17サウジアラビア代表、スペインのジローナ、タイのラチャブリー、バンコク・グラス、スパンブリーの監督を歴任していたリカルド・ロドリゲスだった。

【次ページ】 徳島というクラブに魅力を作らないと

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