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Jをめぐる冒険BACK NUMBER
「トライアウトの選手を誘ったのに引退」Jで最も負けている強化担当が、徳島ヴォルティス改革に踏み切るまで…今も心に刻む“専門誌の酷評”
posted2023/04/05 11:19
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Atsushi Iio
2017年から3人続けてスペイン人監督を招聘し、ポジショナルプレーの概念に基づいて攻守にわたってゲームを支配するアタッキングフットボールを志向している。
その間、何人もの選手を――選手だけでなく2人の指揮官も――J1に送り出し、20年にはクラブ史上2度目となるJ1昇格を果たした。
さらに22年12月には、久保建英が所属する“ラ・レアル”ことレアル・ソシエダと育成業務提携を結ぶなど、今や徳島ヴォルティスは確固たるスタイルや理念を持つチームとして知られている。
トライアウトでオファーした選手が引退を選ぶんです
そんな地方クラブの星も、ほんの10年ちょっと前は選手の獲得にも苦労していた。
「トライアウトに出ていた選手を誘うじゃないですか。そうしたら、うちのオファーを断って、引退を選ぶんです。あれ? って。お金の問題もあったかもしれないですけど、それだけ魅力がなかったんでしょうね」
そう苦笑するのは、徳島の強化本部長を務め、クラブの国際化を推し進めてきた岡田明彦である。J2に昇格した05年に強化担当となり、15年から強化部長、19年から現職と、長らくクラブの強化に携わってきた。
そんな岡田は自身のことを、こう自虐する。
Jリーグで最も負けている強化担当――。
「決して大袈裟ではなく、本当にそうだと思いますよ。06年から3年連続でJ2最下位になったし、最初にJ1に昇格した14年は年間3勝でしたから。ほとんど負けているという感覚です。よくクビにならず、続けさせてもらっているなと(苦笑)」
難しくても、選手の能力を上げていかないと
負け続けてきた歴史のいったいどこに、国際化へと舵を切るきっかけがあったのか――。
「そうですね……振り返れば、12年のシーズン後ですかね」
その前年である11年は、クラブがプロ化した05年以降、最もJ1に近づいたシーズンだった。
期限付き移籍でセレッソ大阪から加入して3年目となる当時21歳の柿谷曜一朗の活躍もあり、シーズン序盤から上位争いを続けた徳島は、昇格圏内の3位でラスト2試合を迎えた。
「いよいよ昇格できるんじゃないかと思ったんですけど、ホーム最終戦にたくさんの人が集まって、選手たちが硬くなって負けてしまって。最終節でも敗れて、上がれなかった。来年こそは、と思った12年は昇格どころか15位に沈んでしまった。それで、このままでいいのかと。自分たちはどうあるべきかを分析し、どうしていくかを考えました」
どうあるべきか、どうしていくか――。その答えのひとつが、ボール保持力の向上だった。