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「トライアウトの選手を誘ったのに引退」Jで最も負けている強化担当が、徳島ヴォルティス改革に踏み切るまで…今も心に刻む“専門誌の酷評” 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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posted2023/04/05 11:19

「トライアウトの選手を誘ったのに引退」Jで最も負けている強化担当が、徳島ヴォルティス改革に踏み切るまで…今も心に刻む“専門誌の酷評”<Number Web> photograph by Atsushi Iio

徳島ヴォルティスの岡田明彦強化本部長。J1昇格とJ2降格など様々な経験をした中で得た知見とは

 岡田は15年に、リカルド・ロドリゲス監督が指揮を執っていたバンコク・グラスの試合を見たことがあった。だが、16年シーズン終了時点ではあくまでも複数いた後任候補のひとりにすぎず、外国人監督に決めていたわけでも、スペイン人にこだわっていたわけでもなかった。

「リカにやりたいサッカーをプレゼンしてもらったり、徳島の試合を見たうえで選手のレポートを出してもらったんですよね。そうしたら僕が感じていた課題だったり、選手に対する見方だったりと一致していた。リカはポジショナルなサッカーをしたいと言っていて、選手をどう良くしていくかという部分でも発想が似ていた。あと、同世代なので、単純にこれまで見てきたサッカーの話も合った。だから、最後はフィーリングです(笑)」

徳島というクラブに魅力を作らないと

 タイのリーグ戦もチェックしていたように、15年に強化部長に就任してから、岡田の視線は海外に向けられるようになっていた。

「フットボールって、国内で完結するものではない。世界があって、その一部。日本の常識が世界の常識とは限らないわけですから、外に出ていかないとダメだと思って。世界と繋がったなかで判断、決断していかないといけない。だから、ドルトムント(ドイツ)やアヤックス(オランダ)にも行ったし、ベルギーだったら、アンデルレヒトやヘンクにも行きました。外から学ばないといけない。60あるJクラブの中から、もっと言えば、世界の何千ものクラブの中から、サルやタヌキ、イノシシの出るような山の中のクラブを選んでもらうには、徳島に行けば成長できるとか、魅力を作っていかなければいけない」

 リカルド・ロドリゲス監督は就任4年目となった20年、クラブ史上2度目のJ1昇格を置き土産に浦和レッズの指揮官へと転身したが、後任で同じくスペイン人のダニエル・ポヤトス監督とも岡田は以前から交流があり、すでに18年にスペインで顔を合わせていた。

ソシエダ分析チームの責任者を新監督に

 22年シーズン終了後、契約延長のオファーを出していたポヤトスがガンバ大阪の監督就任を決めると、今季の指揮官として、育成業務提携を結んだレアル・ソシエダの分析チームの責任者だったベニャート・ラバイン監督を迎え入れた。

「スポーツダイレクターの(ロベルト・)オラべさんの評価がすごく高かったんです。持っている知識が豊富で、優秀で、真面目だと。本人とも話をしたら、監督をやりたい、日本に興味がある、ということでした。ベニだけに絞っていたわけではなく、何人かの候補の中から最終的にベニを選びました。チームにダイナミックさをもたらしてくれることを期待しています」

 一般的にはリカルド・ロドリゲス監督を招聘した17年が徳島にとっての改革元年だと認知されているかもしれない。しかし、11年、12年があっての昇降格であり、その経験があっての17年であり、20年の2度目の昇格へと繋がっていたのだ。

 さらなる改革は続く。徳島のスタイルを築くことに成功した岡田は、レアル・ソシエダとの育成業務提携を機に、選手・指導者の育成、クラブ運営にもメスを入れようとしている。

#2につづく)

#2に続く
「ソシエダへの興味」は久保建英加入前から…J2徳島・強化本部長が明かす“業務提携の真相”とスペイン路線、選手獲得サイクルの狙い

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