甲子園の風BACK NUMBER
センバツ史上初“完全試合の男”が告白…「相手に申し訳ないことをした」発言の真意「40度の熱があるのにマウンドに、とかマスコミは嘘ばかり」
text by
菊地高弘Takahiro Kikuchi
photograph byAflo/Takahiro Kikuchi
posted2023/04/03 11:00
1978年春のセンバツ甲子園で史上初の完全試合を成し遂げた松本稔さん。現在は桐生高校で監督を務める
「完全試合をしたことで、技術は繊細で、ちょっとしたことでガラッと変わることを体感しました。もっといいメカニズムを追求すれば、パフォーマンスは上がる。それは僕の指導の根底にいつもあります」
同大学院を修了後、松本は教員となり、高校野球指導者の道を歩み始める。
「自分で考える高校野球が通用するのか、試してみたかった」
松本にとっては、既存の「高校野球」への挑戦でもあった。定期的な休日の導入、練習中の補食をいち早く取り入れ、「邪道」と批判された。だが、今ではそれらは当たり前の光景になっている。
中央高(現中央中等)と母校の前橋高で指揮を執り、それぞれ甲子園出場に導いた。「俺は間違っていなかった」と感じる反面、物足りなさもあった。
「合理性を求めてきたけど、日本的な精神論も必要だなと感じます。どちらかに寄れば片手落ちになる。それらをミックスしてやることが大事なんだろうなと」
「完全試合の松本」と呼ばれて…
一方で、指導者になってからも「完全試合」はついて回った。初対面の人に名刺を渡せば「あの完全試合の……」と敬われる。相変わらず取材依頼はひっきりなしにきた。だが、松本は肩肘張らずに、ありのままの自分をさらけ出す。本人は口にしないが、もしかしたらメディアによって一人歩きさせられた「松本稔」の虚像に引きずられてたまるか、という抵抗なのかもしれない。
完全試合をしなければよかった、と思ったことはありますか?
そう尋ねると、松本は「それはないですね」と言ってこう続けた。
「人生を豊かにしてくれたのは、完全試合をできちゃったことにあると思います。本来なら会えないような人にも会えたし、いろんな経験ができました。あだち充さんがグラウンドまで取材にきてくれて、南ちゃんを描いた色紙をもらったこともありました。高校日本代表のコーチもさせてもらったり、甲子園のテレビ中継の解説者に呼んでもらったりするのも、完全試合があったからだと思うんです」
松本が完全試合を達成してから16年後、金沢高のエース右腕・中野真博(現青山学院大コーチ)が完全試合を達成した。もしかしたら、松本にとっては「荷が下りた」という感慨があったのではないか。そんな仮説をぶつけると、松本はニヤリと笑ってこう答えた。