甲子園の風BACK NUMBER
センバツ史上初“完全試合の男”が告白…「相手に申し訳ないことをした」発言の真意「40度の熱があるのにマウンドに、とかマスコミは嘘ばかり」
posted2023/04/03 11:00
text by
菊地高弘Takahiro Kikuchi
photograph by
Aflo/Takahiro Kikuchi
「まさか桐高(きりたか)に来て野球を指導するなんて、夢にも思わなかったですね」
松本稔はそう言って、柔和な顔をほころばせた。
「完全試合の男」が桐生高監督に…
松本は昨夏から桐生高の監督を務めている。「前高(まえたか)」こと前橋高出身で、同校監督経験もある松本が桐生高の監督に就任――。群馬県内でざわめいた人事だった。1978年以降は甲子園から遠ざかっているとはいえ、桐生高は春夏合わせて26回も甲子園に出場している公立の伝統校なのだ。
だが、松本は「自分が呼ばれた理由はまったくわかりません」と語る。
「僕は地方公務員なので、命令が出れば従うだけですから」
すでに定年を過ぎているため、1年ごとに再任用として教職につく。「給料が減ってパチンコにも行けません」と松本は困ったように苦笑を浮かべた。
松本には野球部の監督にありがちな、いかめしさがまるでない。時に自虐や軽いジョークを交え、紳士的に受け答えする。数え切れないほど受けてきた取材も、「断り切れないんですよねぇ」と笑って受けてくれる。
17歳が見た“マスコミの生態”
松本は1978年春の選抜高校野球大会(センバツ)で史上初の完全試合を成し遂げた。偉業から45年の時が経ち、松本は還暦を過ぎた。
それでも、春が近づけば私のような人間が完全試合の話を聞きにくる。同じ話を何百、何千としても、メディアは入れ代わり立ち代わり「完全試合の記憶」を求めてくる。
はっきり言って、松本に取材を受けるメリットはないに等しい。むしろデメリットのほうが大きいだろう。自分の意図しない言葉が一人歩きし、別の松本稔像ができ上がる。松本は45年も、そのギャップを埋めるのに苦労してきた。
松本はメディアがつくりあげた「松本稔」が、虚像であることを早々に見抜いていた。
「取材を受けても、自分の言ってもないことばかりが載ってるんですよ。『松本は責任感の強い男だ』とか、『40度の熱があるのにマウンドに上がった』とか、嘘ばかり。そんな熱があったら、行かねえだろって。マスコミのそういうところを17歳で見てきているんですよねぇ」
いくらもてはやされようと、松本は自分のことを冷静に見つめていた。小学6年時の卒業文集に「将来の夢はプロ野球選手」と書いてはみたものの、リアリティはなかった。