Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
WBC連続MVP・松坂大輔はなぜ国際舞台に強いのか? 和田毅「とても同級生とは思えなかった」岩隈久志「クマがMVPだよと言ってくれて」
posted2023/02/26 17:25

2009年WBCに向けた日本代表の宮崎キャンプでの松坂大輔。WBCでは2大会連続MVPに輝き日本の連覇に大きく貢献した
text by

鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Hideki Sugiyama
Number1039号(2021年11月4日発売)に掲載された『[同年代が語る代表の松坂]和田毅&岩隈久志「日の丸を背負いつづけた男」』を特別に無料公開します。
◆◆◆
出会った時は敬語だった。
1998年、和田毅が島根・浜田高校3年生のときに出場した夏の全国高校野球選手権大会の開会式での出来事だ。
「僕らの世代では松坂大輔と新垣渚がツートップ。この二人と写真を撮っておけば絶対に将来自慢できるな、と。それで開会式前に裏で待機しているときに二人を探していたら、大輔がヒョコッと来たんです」
勇気を振り絞って袖を掴んだ。
「写真……いいですか?」
友人にツーショットを撮ってもらい、今度はその友人が……と思った瞬間、「ちょっとスミマセン」と言い残して、松坂はあっという間にその場を去ってしまった。
「完璧に敬語でしたね。僕にとってその写真は今でも最高のお宝です」
五輪予選で再会した松坂は「同級生とは思えなかった」
それから5年後の2003年。早大からダイエー(現ソフトバンク)に入団した和田が松坂と“再会”したのは、アテネ五輪アジア最終予選の日本代表チームだった。
「プロ入りして初めてちゃんと話をしたのが、このアテネ五輪の予選でした。このときも僕はまだ、敬語で話していた覚えがあります(笑)。だって大輔は上原(浩治)さんとダブルエースというか、二人が投手陣の軸になっていて、チームの中心でしたから。とても同級生とは思えなかった」
すでに松坂はプロ5年目。最多勝など数々のタイトルを手にし、西武だけでなく日本のエースとして君臨していた。しかも3年前の2000年にはシドニー五輪に出場し、日の丸を背負った国際大会の重さを嫌というほど経験していたのである。
「やっぱり国際大会は普通のレギュラーシーズンとは全然違う、っていう話を盛んにしていたのを覚えています。実際にあの予選でも一つのプレーに命かけるじゃないですけれど、それぐらいの気迫でみんなやっていた。『これが大輔が言っていたオリンピックの、国際大会の緊張感なんだな』って初めて実感しました」
当たった瞬間「折れたな」って…松坂の反応は?
その気迫を松坂が身をもって示したのが、アテネ五輪本大会のキューバ戦だった。この試合に先発、好投を続けていた松坂をアクシデントが襲ったのは4回だった。1死から右上腕にキューバの打者のライナー性の打球が直撃したのである。