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〈追悼〉巨人戦力外→34歳で初オールスター出場&兄弟継投…入来智が“リストラの星”と注目を集めた2001年、オフに誓った意地の親孝行

posted2023/02/25 11:00

 
〈追悼〉巨人戦力外→34歳で初オールスター出場&兄弟継投…入来智が“リストラの星”と注目を集めた2001年、オフに誓った意地の親孝行<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

闘志あふれる投球が印象深い入来智さん(右)。巨人を自由契約になった翌2001年に初出場したオールスターでは弟・祐作(現オリックス投手コーチ)との“兄弟継投”が実現した

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永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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Sankei Shimbun

 2023年2月10日、不慮の事故でこの世を去った入来智さん(享年55歳)。近鉄・広島・巨人・ヤクルト、そして韓国や台湾と、14年のプロ生活で6球団を渡り歩いた男のハイライトとなったのはヤクルト時代の2001年だった。自己最多の10勝、日本シリーズ登板も果たした入来がもっとも注目を集めたのが、同年7月21日のオールスターゲームで実現した弟・祐作との“兄弟継投”である。
 当時の秘話を掲載したNumber528号(2001年7月26日発売)のショートコラムを特別に掲載します。時系列などは全て掲載時のまま。

「めっちゃ嬉しいです」

 7月11日の巨人戦に勝った嬉しさを、どこかで聞いたような言葉で表現したのは、オールスター戦に兄弟同時出場を果たしたヤクルト・入来智である。その日は監督推薦選手の発表の日だった。

 入来は巨人・長嶋茂雄監督の部屋の前で直立不動で吉報を待っていた。「巨人時代は監督から話しかけられたことなど、ほとんどなかったから」というのが、その理由だった。

 巨人に自由契約を言い渡された後、ヤクルトに拾われた。古田敦也と出会い、ようやく才能が開花する。「こっちがヘェッと思うリードをする。その通りに投げていたら、不思議と勝てるようになった」

 その古田に、入来が今季初めての注文をつけたのが、11日の巨人戦だった。

「すまんが変化球中心の組み立てを考えてくれんか」

 前回、巨人と初対戦した時は、気持ちばかりあせって、力んで自滅してしまった。“オレを捨てた相手にリベンジしたい”という思いが空回りした。その反省から、どうしても力みがちになるストレートより、手首を柔らかく使う変化球を投げようとした。

 古田の変化球主体のリードで勝利を収めた後、入来はこう言ってニッコリした。

「一度捨てられた悔しさが気負いになり、拾われた嬉しさが気迫になったのかもしれません。あれほど勝ちたいと思っていた相手でも、勝ってしまえば懐かしさを感じます。今後は一つの対戦相手と考えて投げられるでしょう」

遅咲きの男が誓った親孝行

 入来には弟の祐作と元社会人選手だった末弟の博之がいる。祐作は試合に勝つと、必ずと言っていいほど、兄の智に電話をしてくるという。だが、この夜に限っては、智から祐作に電話を入れた。福岡・横浜・札幌で行なわれるオールスター戦に両親を招待しようという話だった。

「親父の分はオレが出すから、お袋の分はおまえが払えって言ったんです。割り勘だって言われるかもしれませんが、ボクの今年の年俸はそんなものです」

 弟の祐作は、巨人に入団した時、父親・喜門さんにハーレーダビッドソンのサイドカーをプレゼントしている。そこに母親のけい子さんを乗せて走るのが、今でも喜門さんの自慢である。智は言う。

「オレは何もしていないから、本当の親孝行はこのオフ、年俸が上がった時にバッチリやります」

 遅れ咲きの男は、やることすべて遅れるが、必ず実行してみせる意地がある。

★初出:2001年7月26日発売/Number528号。闘志あふれる投球で、多くの野球ファンを魅了した入来さん。ご冥福をお祈りします(編)

入来智(いりき・さとし)

1967年6月3日 - 2023年2月10日、享年55歳。鹿児島実から三菱自動車水島を経て、1989年ドラフト6位で近鉄入り(同期は野茂英雄、石井浩郎ら)。その後、広島、巨人、ヤクルトと渡り歩き、NPB通算12年で35勝30敗2セーブを挙げた。巨人時代には弟・祐作と同時に在籍し「入来兄弟」として話題を呼んだ。2004年に現役引退、近年は故郷の都城市で介護士として働いていた

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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