甲子園でも、プロ野球でも、メジャーでもない舞台で、彼はひと際高いモチベーションで投げ続けてきた。“松坂世代”の盟友と後輩が仰ぎ見たJAPANの18番。
出会った時は敬語だった。
1998年、和田毅が島根・浜田高校3年生のときに出場した夏の全国高校野球選手権大会の開会式での出来事だ。
「僕らの世代では松坂大輔と新垣渚がツートップ。この二人と写真を撮っておけば絶対に将来自慢できるな、と。それで開会式前に裏で待機しているときに二人を探していたら、大輔がヒョコッと来たんです」
勇気を振り絞って袖を掴んだ。
「写真……いいですか?」
友人にツーショットを撮ってもらい、今度はその友人が……と思った瞬間、「ちょっとスミマセン」と言い残して、松坂はあっという間にその場を去ってしまった。
「完璧に敬語でしたね。僕にとってその写真は今でも最高のお宝です」
それから5年後の2003年。早大からダイエー(現ソフトバンク)に入団した和田が松坂と“再会”したのは、アテネ五輪アジア最終予選の日本代表チームだった。
「プロ入りして初めてちゃんと話をしたのが、このアテネ五輪の予選でした。このときも僕はまだ、敬語で話していた覚えがあります(笑)。だって大輔は上原(浩治)さんとダブルエースというか、二人が投手陣の軸になっていて、チームの中心でしたから。とても同級生とは思えなかった」
すでに松坂はプロ5年目。最多勝など数々のタイトルを手にし、西武だけでなく日本のエースとして君臨していた。しかも3年前の2000年にはシドニー五輪に出場し、日の丸を背負った国際大会の重さを嫌というほど経験していたのである。
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photograph by Naoya Sanuki