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ドルーリー朱瑛里15歳も「過度な取材は控えて」 10代選手への“日本の過剰なマスコミ”の大問題…安藤美姫や岩崎恭子らも苦悩を明かしていた
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJIJI PRESS
posted2023/02/06 17:10
「晴れの国岡山」駅伝の3区を走るドルーリー朱瑛里(15歳)
1月15日以降のスポーツ紙やスポーツニュースにとどまらない報道の様子を捉えれば、相当の取材が殺到したことは想像がつく。沿道では多くの人がスマートフォンを向けていて、注がれた「視線」は相当だっただろう。そうした状況に、いきなり身を置かざるを得なくなったのだ。戸惑いや恐怖は自然でもある。そしてここに書かれているのはスポーツ界の長年の問題でもある。
ドルーリーのように、スポーツの枠を超えるほどの注目を集めることで、具体的にどのような事態が引き起こされ、選手はどういった影響を受けるのか。これまでにもそうした状況に置かれた選手たちがいた。
安藤美姫に岩崎恭子、10代選手への日本の過剰なマスコミ報道
例えばフィギュアスケートの安藤美姫は10代半ばあたりから脚光を浴び、苦しんだ選手の一人だ。
14歳のとき、女子では世界で初めて4回転ジャンプを成功させ、16歳だった03年に荒川静香、村主章枝らを抑え全日本選手権初優勝するなどの活躍を見せると注目は加速した。将来を期待される一アスリート、という枠におさまらない存在になっていった。
のちの取材で当時を振り返る中で、安藤はこのような話をした。
「毎日パパラッチが家の前にいました。家の前に広場があるんです。木々や草などを植えて自然のようにしているのですが、家に帰ってくると、木に座っていたり、草むらに隠れていて飛び出してきたり、横付けされた車から人が出てきたり。家を出れば尾行されました。近所の方々にも話を聞きまわって、迷惑をかけてしまいました。町に出れば、隠し撮りもされて」
四六時中目を向けられる中、こう感じずにはいられなかった。
「自分の居場所がありませんでした。いられるのは自分の部屋だけでした。正直、怖かった」
岩崎の葛藤「金メダルなんて獲らなければよかった」の意味
もっとさかのぼれば、競泳の岩崎恭子も周囲からの視線に苦しんだ一人だと言える。
1992年のバルセロナ五輪に中学2年生、14歳で出場し金メダルを獲得。日本中が岩崎に熱狂した。試合の後の「今まで生きてきた中でいちばん幸せです」という言葉も広く知れ渡った。
だが、幸福ではいられなかった。象徴するのは、これまでのさまざまなインタビューで語っている「金メダルなんて獲らなければよかった」と感じたという言葉だ。オリンピック直後の大会では人が殺到して危険であることから学校の校長も同行し、他の選手と控室を分ける措置がとられるという事態になった。
自宅で待ち伏せする人、街中で追いかける人もいたし、「今まで生きてきた中で」という言葉を「14年しか生きていないくせに」というニュアンスで批判的に捉える人がいて、そうした声は岩崎本人にも届いていたという。姉と妹も競泳に打ち込んでいたが、「岩崎恭子の姉(妹)」として見られ、それが負担になった。金メダルなんて獲らなければ、という心境に追い込まれた。