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「当時の羽生さんは弱かった」羽生善治少年は“天才”ではなかった? 奨励会時代を知る阿部隆の証言「マジックなんて言ったら失礼ですよ」
text by
北條聡Satoshi Hojo
photograph byJIJI PRESS
posted2023/01/26 17:02
2023年1月22日、第72期王将戦7番勝負第2局で藤井聡太王将に勝利した羽生善治九段。52歳となった現在も、その探究心はまったく衰えていない
「自分の中で何かが壊れていくような…」
時は巡り、はるか後ろに置いて行かれたはずの阿部に、羽生の牙城を崩す好機が訪れる。2002年、第15期竜王戦。挑戦者は35歳になっていた。
2回の千日手を挟んだ竜王戦史上2回目の越年決戦。先に王手をかけたのは2連敗から3連勝を飾った阿部である。だが、羽生も粘り、タイトルの行方は第7局へ。終盤に入り、形勢は阿部有利だった。
しかし、ある局面を迎え、挑戦者の手がピタリと止まる。阿部の放った▲2四桂という勝負手に対し、羽生が知らぬ顔を決め込んだからだ。手抜き、である。
「私の読みになかったんです。手抜けば、あちらの守りの要である金を桂で取れる。だからもう、驚きましたよ。えっ、こちらに勝ちがないの? って」
では、どう仕留めるか。ここから阿部は大長考に沈む。羽生より余裕のあった持ち時間はみるみるうちになくなった。
「私の将棋観では、勝ちしかない局面。でも、その道筋が見えなかったんです。それで焦ってしまい、自分の中で何かが壊れていくような指し方になりましたね」
そこからのわずか数手で阿部から竜王位が逃げる。羽生は自分が負ける筋を知っていた。感想戦で明かされた手順は▲1一角から一見、逃げ道が広く見える右辺に玉を誘う仕留め方。狭いほうに追い込め、という常識的な考えに縛られていた阿部には、簡単に浮かばない筋だった。
「羽生さんには妙な先入観がない。それこそ、天下を取るうえで一番の強みだったんじゃないかな。若い頃から定跡に自分なりの工夫を加え、引き出しを一つひとつ増やしていった。現代将棋の先駆者ですよ」