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“戦後初の三冠王”ノムさんはなぜ「今考えても異次元」なのか? 97%が“捕手として出場”なのに22歳で本塁打王&40歳でも28本…データで分析
text by
小川勝Masaru Ogawa
photograph byKYODO
posted2023/02/11 06:00
1957年撮影の野村克也。この年、30本塁打でホームラン王のタイトルを獲得した
ただ1人、通算2097安打の古田は98%で、野村とほぼ同じ、捕手ひと筋での出場だったが、野村の場合、45歳という年齢まで、捕手というポジションに重点を置きながらプレーしたところが特徴だ。
22歳で本塁打王→40歳でも28本
あくまで捕手としてプレーしたうえで、打者としての記録を残したということだが、もうひとつ、野村には打者として際立った特徴があった。最初に本塁打王を獲得したのが、22歳という年齢だったことだ。1957年に30本塁打でタイトルを獲っているのだ。22歳で本塁打王というのは、注目されてよい事実だ。
戦後のプロ野球の歴史を見ていくと、'53年に西鉄の中西太が、20歳で36本塁打を打ち本塁打王になっているが、野村の22歳は、中西に次ぐ若さだ。野村と同じ22歳で本塁打王になっているのは、'62年に38本塁打を打った巨人の王貞治、2010年に33本塁打だったオリックスのT-岡田で、合計で3人だ(編注:その後、2021、22年にヤクルト村上宗隆がそれぞれ21、22歳で本塁打王を獲得)。
加えて注目したいのが、最後に20本塁打以上を打ったときの年齢だ。20歳で本塁打王になった中西は、最後に20本塁打以上を打ったのが'61年、28歳のときだった。王は引退した'80年、40歳で30本塁打だった。岡田はまだ32歳だが、'17年に29歳で31本塁打を打ったあと、'18年、'19年は故障などがあって規定打席に届かなかった。
では野村はどういった成績だったかというと、'75年、40歳の年に、28本塁打を打っているのだ。22歳で本塁打王になっただけでなく、40歳で20本塁打以上を打ったというのは、いまのところ野村以外では王だけなのだ。
どういうことかと言うと、野村と王は、長距離打者として、きわめて若い年齢でタイトルを獲得して、なおかつ、40歳までレベルを守った、ということだ。長距離打者としてトップレベルで活躍した年数が、プロ野球の歴史上、際立って長かったのだ。