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“戦後初の三冠王”ノムさんはなぜ「今考えても異次元」なのか? 97%が“捕手として出場”なのに22歳で本塁打王&40歳でも28本…データで分析

posted2023/02/11 06:00

 
“戦後初の三冠王”ノムさんはなぜ「今考えても異次元」なのか? 97%が“捕手として出場”なのに22歳で本塁打王&40歳でも28本…データで分析<Number Web> photograph by KYODO

1957年撮影の野村克也。この年、30本塁打でホームラン王のタイトルを獲得した

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小川勝

小川勝Masaru Ogawa

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KYODO

野村克也が84歳で亡くなってから、2月11日で3年を迎えた。生涯一捕手を貫きながら、戦後初の三冠王に輝くなど、抜きん出た強打者――その偉大さをデータで読み解く。
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 野村克也という捕手が、戦後最初の三冠王であるとともに、8年連続で本塁打王を獲得している強打者でもあったということは、プロ野球ファンの間ではよく知られている事実であるはずだ。だが、27年間という長い選手生活の全体を振り返って、打者としての野村克也を改めて学習してみると、あまり認識されていないと思われる、打者としての業績というものが、見えてくるように思うのだ。

 捕手というポジションの重責を担いながら、すべて歴代2位にあたる通算2901安打、657本塁打、1988打点という打撃成績を残していること自体、改めて歴代の強打の捕手と比較してみても、飛びぬけたものであることが分かる。

“捕手として出場”97%のスゴみ

 歴代の強打の捕手というと、田淵幸一、木俣達彦、古田敦也、城島健司、阿部慎之助といった名前を挙げることができる。だが打者として優れていればいるほど、捕手というポジションでずっとプレーすることはなかなかできない。捕手は本塁でのクロスプレーなどでケガをする場合もあり、打者としてクリーンアップを打っていると、厳しい内角攻めでボールが当たってヒジなどにケガをすることもある。捕手としての重責からは外れて、違うポジションで打者としてゲームに出るというのは、よくあることだ。

 ところが野村の場合、通算3017試合のうち、捕手としての出場が2921試合で、指名打者が32試合、一塁手が6試合、外野手が3試合で、捕手として出場した割合は97%だった。ほとんどを捕手として出場したうえで安打、本塁打、打点で歴代2位という成績を残したわけだ。

 通算で474本塁打を打った田淵の場合は、捕手としては944試合、指名打者として488試合、一塁手として237試合、外野手として72試合で、捕手としての割合は54%だった。通算285本塁打の木俣は93%、日米通算で292本塁打の城島は90%、通算406本塁打の阿部は73%だった。

【次ページ】 22歳で本塁打王→40歳でも28本

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