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「何かが足りない」岡山学芸館この1年で何が変わった? 選手権優勝に繋がった名将の教え「止めて蹴る」ではなく「止めて“強く”蹴る」
posted2023/01/10 11:01
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Kiichi Matsumoto
岡山県勢初の全国制覇――第101回全国高校サッカー選手権大会を制したのは、伏兵・岡山学芸館だった。
岡山県の強豪校といえば、作陽や玉野光南などが挙げられる。そこに割って入ることを目指して指導してきたのが高原良明監督(43歳)だ。
コーチとして同校にやってきたのは2003年のこと。東海大学を卒業したばかりで、当時は岡山県1部リーグにいたファジアーノ岡山でプレーしながら指導を始めた。部員数も少なく、選手たちの士気も低かったが、熱意を持って更生にあたってきた。現役を引退し、08年から監督に就任。ここから岡山学芸館サッカー部はメキメキと頭角を表していく。
チームの強化と並行して環境面の強化にも着手。インターハイ初出場を果たした12年にはサッカー部専用の人工芝グラウンドが完成し、17年にはグラウンドに隣接する場所に立派な選手寮を建設。ソフト面、ハード面でも着実に階段を登る岡山学芸館は、18年にインターハイでベスト16進出すると、そこから全国大会にコンスタントに出場するようになり、翌19年にはプリンスリーグ中国を初制覇を果たした。
ここ2年は続けてインターハイベスト8に進出しており、高原監督がサッカー部に関わって20年目の節目に“全国優勝”という大輪の花を咲かせた、というわけだ。
高原監督が打診した“恩師”の招聘
岡山学芸館のサッカーといえば、最終ラインのビルドアップから相手を揺さぶりながら崩していく「遅攻」と、奪ったボールをサイドから素早く繋ぐカウンターを武器とした「速攻」の使い分けが上手いチームだった。
「ゆったり攻めるだけでもダメだし、早く攻めるだけでもダメ。うまくチームとして状況を見ながら、縦パスと横パスを組み合わせていくサッカーをしたい」(高原監督)
全国大会での活躍によって、能力が優れたタレントたちが進路先として選んでくれるようになったことで、高原監督が志向するサッカーの質は確実に上がってきた。そこに今年は大きな変化があった。
これまで高原監督と吉谷剛コーチ(43歳)らを中心に指揮してきた体制に加わったのが、東海大福岡高校(旧・東海大五)を全国屈指の強豪に育て上げ、これまで多くの指導者やJリーガーを輩出してきた名将・平清孝(68歳)だ。高原監督は東海大五出身、つまり高校時代の恩師をチームに招いたのだった。