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「親の七光りと言われたことも…」“水沼貴史の息子” 宏太が父と同じF・マリノスに入るまで「それで父を嫌いになることはなかった」 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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posted2022/10/07 17:27

「親の七光りと言われたことも…」“水沼貴史の息子” 宏太が父と同じF・マリノスに入るまで「それで父を嫌いになることはなかった」<Number Web> photograph by Getty Images

7月のE-1選手権で代表に初招集された水沼宏太。本人が水沼貴史の息子として生まれたサッカー人生を振り返った

「父と比べられたり、息子はああいうプレーするんだとか、そういう見られ方をしました。U-15の代表に入った時も僕はチームでバリバリに活躍していたわけじゃないのに選んでもらったので、お父さんが有名だからここまで来れているんだとか、親の七光りでプレーしているとか言われたりして、けっこう風当たりが強かったです」

 父の存在の大きさは普段、街を歩いていても感じられた。父のうしろをついて歩いていると通り過ぎる人が振り向いて、父の顔を二度見したりするので、「すごいな」と思っていた。日常生活はそれで済まされるが、サッカーのピッチではそうはいかない。みんな、好奇の目を向け、しかも有名選手の子どもは、普通の子の2倍、3倍増しで厳しく見られる傾向にある。父親がサッカー選手であることを誇りに思う子がいれば、その威光に反発したり、サッカー選手であることに苦しんだりする子もいる。

父と自分は同じじゃないし、関係ない

「僕は、まぁ言われているなって感じで、それで父を嫌いになるとかはなかったです。父と自分は同じじゃないし、関係ないって思っていた。一方でそういうことを言うやつらを見返すという気持ちもありました。そのためには自分がレベルアップして、結果を残して、自分の名前を認めてもらうしかない。自分が有名になれば、有名な父と肩を並べることができる。父と一緒に有名になるためには自分がやるしかない。そういう意識でプレーしていました」

 宏太は、父を尊敬し、非常にポジティブに物事をとらえていた。実際、親への反抗期はほとんどなかったという。今はSNSがあり、誹謗中傷の声が目や耳に容易に入ってくる時代になったが、イヤな声はいつの時も耳に届く。それでも自分を見失うことなく、父と肩を並べることに注力できたのは、なぜだったのか。

「家族の存在が大きいですね。小さい頃、母には、『有名選手の息子って必ずみられるからね。サッカーをやっていく以上、それは水沼という看板を背負っているがゆえの宿命でもあるから覚悟して生きていきなさい』と言われました。母は、父の影響で厳しい環境に置かれた僕を見て、『かわいそうだな』と思うこともあったようですが、僕が成長するプロセスで、父と母は道を外れないように整えてくれた。たぶん一人で、いろいろ考え過ぎていたらサッカーやりたくないと思うこともあったと思うんですけど、常に傍にいてくれたのでひとりで閉じ籠ることがなかった。友人や指導者にも僕は恵まれていたと思います」

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水沼宏太
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横浜F・マリノス

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