濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「いつも花の写真やLINEを見て…」米国で奮闘中の女子レスラー・ジャングル叫女は“親友・木村花のいない時間”をいかに吹っ切ったのか
posted2022/09/23 11:04
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
本人提供
プロレスラー・ジャングル叫女(きょうな)が新たなスタートの場として選んだのは、アメリカだった。9月から生活の拠点を太平洋の向こうに移し、フリーの女子レスラーとして闘う日々が始まった。
2015年、スターダムでデビュー。タッグ王座、6人タッグ王座をそれぞれ3度獲得した。個性的なリングネームは、大学卒業後に青年海外協力隊としてセネガルで活動していたことが由来だ。
実はセネガルは砂漠化が進んでおり、ジャングルはないそうだ。ただパワフルで元気のいいファイトぶりは、リングネームに似合うものでもあった。中学校から大学まで陸上の投擲種目に打ち込んでいたから、基礎体力は十分。入門からわずか3カ月でデビューを果たしている。
「大学では教員免許を取って、学校の先生になるつもりでした。でも卒業が近づいてくると“予定通りの人生でいいんだろうか”って。息苦しくなってしまったんですよ。フリーとしてアメリカに行くのも、似たような感覚ですね。ケガで欠場していて、ずっと“復帰するのはスターダムのリング”と思ってきたんです。でも、それ以外の道もあるなって。私は定期的に日本から離れたくなるのかもしれない(笑)」
セネガルでの過酷なミッション
セネガルでは現地の子供たちに体育を教えるというミッションがあった。みな身体能力は高くても、体の使い方や“スポーツ”を基本から教わったことがない。体育教育が必要だったのだ。
だが、実際に現地の様子を見てみると体育どころではなかった。気温50度、裸足で歩き回る生活は体育やスポーツ以前の問題だった。
「これは教育というものが成立する環境、インフラから作らないといけないなと。それまでは、現地のやり方でやっていくのがいいんだろうと感じて。そんな中で孤児院の子供たちにエアロビを教えたり、できる限りのことはやりました。
セネガルで思ったのは、場所によって文化も必要な教育も違ってくるということ。日本にいると日本人の感覚、考え方しか分からないじゃないですか。海外に行くこと、行くだけじゃなくて住むことで分かることがある。それは海外のプロレスについても同じだと思ってます。まずアメリカのプロレスがどんなものか学びたいし、逆に日本のプロレスを現地のファンの人たちに届けたいという思いもある。これまでも、SNSを通じて海外のファンからたくさんの反響をもらっていたので」
試合復帰は2年ぶりのことだ。2020年秋からヒザの負傷で長期欠場。2度の手術を経験している。欠場中に代理店に就職し、スターダムは昨年9月に退団した。
「日本では、いわゆる社会人は一からの経験。社長の秘書から始まって運転手もやりました。社長のアルファードを運転したくて立候補したんですよ。そこからメディア対応だったり、統括業務を。それまでは選手なので周りに支えられる立場。会社員として裏方の“支える”仕事を知ることができたのは大きかったです」