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「野茂のボールを数十球受けると手のひらがパンパンに」同級生捕手が明かす球児・野茂英雄伝説「美術の授業で描いた将来の夢は…」
text by
芦部聡Satoshi Ashibe
photograph byAsahi Shimbun
posted2022/08/31 17:01
1985年、大阪大会2回戦の対生野戦で完全試合を達成した成城工の野茂英雄と先輩捕手。その球を受け続けた同級生の捕手2人に話を聞くと…
「2年生、3年生ではクラスも一緒でした。試験前にはお互いの家でテスト対策したり、勉強も真面目にやってましたよ。でも普段の授業中は、野茂はだいたい寝てましたね。投手は野手と違って朝練を課せられていたから、毎日始発で登校しては走り込んで……そりゃ眠いですよ。休み時間になるとムクッと起きて早弁してました(笑)。僕が知っている野茂は、とにかく野球にひたむきなごく普通の高校生なんです」
同じく同級生の大手茂さんは、3年夏の大阪大会4回戦、関西大倉戦での延長10回、控え選手ながらもサヨナラ勝ちを決めた殊勲打の感触は今でも覚えている。
「ヒットを打った僕だけでなく、チーム全員が感極まって、もちろん野茂も顔をグシャグシャにして泣いてました。すでにプロのスカウトも見に来る注目選手だったから記者さんは野茂のところに集まる。すると『自分ではなく、大手の話を聞いてやってください』と気遣ってくれた。自分が目立てばいいという男ではない。優しいんです」
野茂のボールを数十球受けると…
内山さんと同じく、捕手だった大手さんも野茂の凄さを間近で感じていた。
「入学当初からトルネードで投げていましたが、とりたてて変わった投げ方とは思わなかった。投法よりも速さ、重さが衝撃的でした。僕はヒジと肩を痛めてから控えに回りましたが、怪我をする前はキャッチャーだったんです。当時のミットは綿が薄くて、球の威力がダイレクトに手に伝わるんですね。野茂のボールを数十球受けると手のひらがパンパンに腫れあがって、ミットをはめてるのか、外してるのか見分けがつかなくなるほど。思わずフーフーと息を吹きかけましたけど、そんなことをしても痛みはまったく引かなかったなあ」
野茂が美術の授業で絵を描いたのは…
グラウンドの外でも大物ぶりを予見させる、印象的な出来事があったという。