Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
「野茂のボールを数十球受けると手のひらがパンパンに」同級生捕手が明かす球児・野茂英雄伝説「美術の授業で描いた将来の夢は…」
text by
芦部聡Satoshi Ashibe
photograph byAsahi Shimbun
posted2022/08/31 17:01
1985年、大阪大会2回戦の対生野戦で完全試合を達成した成城工の野茂英雄と先輩捕手。その球を受け続けた同級生の捕手2人に話を聞くと…
「美術の授業で将来の夢を絵に描くという課題が出た。僕はスポーツが好きだからという理由で、スポーツショップの店長になった自分を描いた。野茂はプロ野球選手かなと覗いたら、なんとアイドルの女の子がステージで歌ってる姿でした。すぐには意図が理解できなかったけど、『俺はアイドルのように注目を集める存在になるんだ。スターになるぞ』という意思表明だと合点がいって、コイツが考えることは違うなと。甲子園には出られなかったけど、完全試合をやってからは取材を受けたり、カメラを向けられることが増えたし、何か期するものがあったんでしょう」
野茂「ひとり3000円でいける?」
問い詰めたわけではないからホンマのところは分からないと笑うが、押しも押されもせぬスーパースターになったのは事実だ。名は体を表すの言葉どおり、野茂は「ほんまもんの英雄」になったのである。
「新日鉄堺から近鉄、そしてメジャーリーグ……野茂のステージはどんどんビッグになっていったけど、野球部の仲間との関係性はまったく変わっていない。僕らと一緒にいるときの野茂はいつになっても、汗臭い部室でバカ話をしては腹を抱えて笑い転げていた野球小僧なんです。オフになると地元の居酒屋に同期みんなで集まって、思い出話に花を咲かせるのが恒例になっています。あるとき野茂がカラオケをやろうと言い出して、スナックビルに繰り出したことがあった。日本中を熱狂させている大リーガーがヌーッと入ってきて、『ひとり3000円でいける?』なんて交渉するもんだから、ママさんはびっくり仰天で大喜びですよ。けっきょく1階から5階まで、ビルに入っている全部の店を回りました。メディアで見かける野茂はムスッとしてることが多いけど、僕らの前では飾らない、気さくで明るい男なんです」
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。