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《鋼の肉体》横綱千代の富士伝説… 寺尾「なんじゃこりゃ、まるで鉄板」“鬼の形相直前の貴乃花”に九重親方「痛かったらやめろ!」
posted2022/07/11 17:01
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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<名言1>
なんじゃこりゃ、こんな硬い身体の人間がいるのか。
(寺尾/Number972号 2019年2月14日発売)
◇解説◇
昭和から平成にかけての角界は、数多くの個性的な力士が土俵上で名勝負を繰り広げてきた。その1人が寺尾(現・錣山親方)だ。
元関脇・鶴ヶ嶺を父に持ち、2人の兄も力士で、逆鉾は関脇になった相撲一家である。その中で寺尾は初土俵時点で85kgしかなかった身体を必死に大きくし、85年に新入幕。翌年9月場所には逆鉾と兄弟同時での三賞受賞、さらには89年3月場所には同時に関脇の地位につくなど、アグレッシブな突き、押し相撲で人気を博した。
もうね、人間とは思えなかった
そんな寺尾が、当時の大横綱と初対戦したのは1985年9月場所のことだった。
「体重でいったら、たぶん、15kgも違わなかったと思うんです。もっと重たい力士とやったことなら何度もあった。でも、立ち合いで当たった瞬間、まるで鉄板にでもぶつかったような手応えが返ってきて」
千代の富士も決して大型な力士ではなかった。しかし肩の脱臼癖を“鋼の肉体”を作り上げることによってカバーしたのは有名な話。それは実際に立ち合ってみた寺尾にとって、恐ろしいほどの衝撃だったという。
「トレーニングの先生とか、ボディビルダーの人とか、自分も凄い筋肉の人と遊びで相撲を取ったこともあったんですが、そういう人たちの筋肉とはまるで違うんです。もうね、人間とは思えなかった」
2人の対戦は、千代の富士が当たり前のように白星を積み重ねていった。その状況を変えたのは1989年初場所の8日目だった。千代の富士が得意の上手投げに来たところ、寺尾が返し技の外掛けでひっくり返し、千代の富士の背中が土俵に落ちた。
「双差しが入って……最後どうしたんだっけか。あれ? 物凄く嬉しかった記憶はあるんですけど、あんまり覚えてないかもしれない。負けた相撲の方はよく覚えてるんですけどねえ」
あまりに強すぎたからこそ、寺尾にとって勝利の印象が薄くなったのかもしれない。
鋼の肉体を作って生まれ変わっていた
<名言2>
なによりも肝心なところで、ここ一番で絶対に勝つのが千代の富士なんですよ。
(朝潮/Number908・909・910号 2016年8月10日発売)
◇解説◇
元大関朝潮は、千代の富士と同じ1955年生まれの同学年。2人のキャリアは対照的だ。