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《鋼の肉体》横綱千代の富士伝説… 寺尾「なんじゃこりゃ、まるで鉄板」“鬼の形相直前の貴乃花”に九重親方「痛かったらやめろ!」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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posted2022/07/11 17:01
現役時代の千代の富士(1988年)。彼らと戦った力士の印象は?
朝潮は近畿大学で2年連続学生横綱・アマ横綱となったエリート、千代の富士は北海道から15歳にして大相撲の道を選んだ叩き上げである。
そんな2人が初めて接点を持ったのは、朝潮が近畿大学3年生の頃。大阪場所前に近大相撲部が出稽古にいっており、当時は千代の富士相手に「ガンガン勝っていた」のだという。さらには朝潮(入門当時の四股名は長岡)が角界入りするとスピード出世し、1978年11月の九州場所では、長岡が前頭10枚目の千代の富士を小手投げで初対決を制している。
「最初のうちは私のほうが番付は上だった。こっちが幕内上位でもたもたしているうちに、いつのまにか千代の富士に抜かれてしまったんです。彼は脱臼癖を直すために、鋼の肉体を作って生まれ変わっていた」
ターニングポイントの1つとなったのは1981年11月だった。この九州場所で千代の富士にとって横綱昇進後初となる優勝を飾ったが――本割では朝汐(当時)が押し出しで勝利したものの、優勝決定戦で寄り倒され、賜杯は千代の富士の手に渡った。その印象が強いからこそ、冒頭の言葉を口にしたのだろう。
2人の大相撲での通算対戦成績は千代の富士31勝、朝潮15勝と一方的だったわけではない。しかし勝負どころではさらなる力を出してくる……何度もぶつかり合ってきた朝潮がそう考えるのも不思議ではない。
千代の富士に勝つということは3勝分の価値が
<名言3>
千代の富士に勝つということは3勝分の価値があった。
(隆の里/NumberWeb 2022年6月1日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/853424
◇解説◇
朝潮は自らの体験談とともに、「彼が一番苦手だった相手は隆の里でしょう」と語っている。
第59代横綱・隆の里は、千代の富士に幕内通算対戦成績で勝ち越している(16勝12敗)数少ない力士の1人だ。遺伝や若き日の生活習慣によって糖尿病が持病となり、苦しんだ時期があったものの、徹底した節制で30歳にして横綱昇進。その苦労人ぶりから当時の朝ドラになぞらえて「おしん横綱」とも呼ばれた。
「同じ右四つで、がっぷり組んだ力相撲では勝てない。だから千代の富士はスピード相撲で来たんだよね」
このように朝潮は2人の相撲を端的に評しており、隆の里のパワーが千代の富士を苦しめていたことが分かる。さらに隆の里はビデオテープが擦り切れるほど千代の富士の取組を見て研究し、さらには巡業でも本場所さながらのぶつかり合いで勝ちにいったという。